第153・154回演奏会(1996年7月)維持会ニュースより


「日本の交響作品展’96」開催にあたって

 40年の新響の歴史を考えたとき2つの大きな特徴があるのがわかります。その一つは30余年にわたって芥川先生の薫陶を受け、それが今でも脈々と受け継がれていること、そしてもう一つは邦人作品に対する取り組みです。邦人作品への取り組みについては、20年前、20周年のとき2日行われた「日本の交響作品展」が新響のその後の運命を決定づけたと言っても過言ではありません。その「日本の交響作品展」に対して「サントリー音楽賞」をいただき、世間からも注目を浴びることになりました。その後10年間、毎年一回邦人作品だけの演奏会を続けたことによって、「新響+邦人」の評価は決定的なものになりました。芥川先生亡き後も新作委嘱や作品公募、石井真木先生との「現代日本の交響作品展」を続け、その一つの成果が「ベルリン芸術週間」への参加となっています。また現在「伊福部ブーム」といわれる現象が起こっておりますが、そのきっかけになったのは10数年前に新響が伊福部先生の作品を取り上げたことですし、一昨年のように5回連続で毎回プログラムに入れ再演したことなどによって、さらに「伊福部音楽」が定着する一翼を担ったといえるでしょう。
 ところで邦人作品に対する日本の音楽界は、実は20年前とあまり変わっていないのではないでしょうか。つまり新作初演や作曲コンクールなどは本当に活発になっていますが、再演については限られたものしか演奏されておりません。特に戦前・戦中の作品は全くといっていいほど取り上げられていないのです。あたかも戦前・戦中がなかったかのように、完全に無視されているのです。20年前、それに問題意識を持った芥川先生が10曲取り上げました。でもまだそれ以外にもすぐれた作品はたくさんあるのです。今回も舞台初演や初演以来の蘇演、ほとんど演奏されていない名曲を取り上げます。これらの作曲家はベートーヴェンやブラームスと比較して書いた曲数は決して多くありません。また曲も技術的には不器用であるかもしれません。だからといって無視されていい存在ではありません。それらは本当に思いがあって書かれた曲なのです。たとえば19世紀末、かつて音楽の中心がヨーロッパと考えられていたとき、ロシアのチャイコフスキーはどんなにヨーロッパにあこがれを持ちかつ自分の民族性を意識して曲を書いたのでしょうか。また20世紀初頭スペインのファリャはどうでしょうか。ハンガリーのバルトークは?さらにはベートーヴェンやブラームスもドイツ魂が音楽になったといえるのではないでしょうか。こうしてそれぞれの国でそれぞれの民族が作曲したものが、結果として世界的な普遍的な名曲となったのです。では我々日本の作曲家はどうでしょうか。西洋音楽に強いあこがれを持ち、今とは異なり情報の限られたなかで一生懸命勉強し、そしていかに自分たちの心をクラシック音楽に融合させ、新しい音楽を創造しようとしてきたか。まさに1930年代40年代の作曲家たちはそういう存在です。しかし時代は不幸な戦争へ向かい、敗戦という結果になりました。戦争に負けたためかどうかはわかりませんが、戦後の作曲界、特に1950年代以降は、作曲技法、オリジナリティを重視する前衛偏重志向の風潮になり、それ以前には日本のクラシック音楽が全く無かったかのように扱われ今日にいたっています。
 戦後のいわゆる「音響の音楽」を否定するわけではありません。しかし本当に愛情を持って書かれた戦前の曲が、肯定するも否定するも無く、ただ葬られているままでよいのでしょうか。戦後50年を経た今日、1930年代40年代の作品の数々にもう一度光をあてる必要があると確信しております。


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