第153・154回演奏会(1996年7月)維持会ニュースより
片山 素秀
日本のクラシック界は、一応十二分に繁栄している。コンサートの数、ディスクの発売点数、聴衆の人口....、どれをとっても、欧米なみ、あるいはそれ以上だ。
が、欧米に劣る点もある。それは自国の作品史、作曲家への興味・関心の度合である。
ドイツ、フランス、イタリアといった、クラシックの本場については言うに及ばない。スペインならファリャ、ハンガリーならバルトーク、ブラジルならヴィラ-ロボス....。
こうして挙げていくとキリがない。ともかく一般に欧米諸国では、自国の作曲史と、その歴史を支える作曲家たちのへの興味が、その国の音楽文化を支える大きな柱になっている。ところが、この点日本の音楽界ははっきり違う。
例えば、日本人作曲家の作品が日本のオーケストラの定期演奏会に登場する頻度を調べてみればいい。この国が自国の作曲家にいかに冷淡か、たちまち了解されるだろう。
こういうことを言うと、次の如き疑問を呈する向きがあるかも知れない。そもそも、スペインに於けるファリャに匹敵するほど、聴衆が関心を持てる作曲家が日本におらぬではないか?
が、私見では、こうした疑問は見当はずれである。山田耕作以来、約一世紀にわたり、自国の財産として誇りうるシンフォニーやコンチェルトなどを、こつこつときちんと作り出してきている。
にもかかわらず、日本の音楽界が、そんな作曲家たちの仕事を十分に認知しておらぬとすれば、その理由は、次の一点に求められるだろう。それは即ち、日本の演奏家、聴衆、そして音楽業界が、クラシック音楽とは、海の向こうから来るものだという、明治以来の固定観念から未だに抜け出せず、自国の作曲史なかなか注意を払おうとせぬ点である。
さて、1970年代後半から、80年代前半にかけ、こうした風潮に敢然と抗したアマチュアオーケストラがあった。芥川也寸志率いる新交響楽団がそれである。彼らは《日本の交響作品展》と題するシリーズを10回にわたって催し、伊福部昭、早坂文雄、小倉朗、清瀬保二、菅原明朗ら、主に戦前世代の作曲家の、歴史に埋もれていた魅惑的作品を、多数蘇演した。それは、海外ばかり見ている日本の音楽界に向かい、なぜ自国の作曲界の歴史を知り、それを誇ろうとしないのかと問いかける、実に真摯でインパクトの強い活動だった。
そして、指導者、芥川が逝って7年、創立40周年を迎えた新響が、久々に大々的に、日本の作曲史を回顧するコンサートを開くという。取り上げられる作品は、どれも日本の音楽界が長年忘却し、滅多に演奏機会を与えてこなかった「幻の作品」ばかりだ。
このコンサートによって、一人でも多くの人が、日本の作曲の歴史の重みを知り、また、その重みを充分に顧慮してこなかった、この国のクラシック音楽界のありようを、見つめ直してくれますように。そして、もちろん、やはり多くの人が、日本人にとってのファリャやバルトークやヴィラ-ロボスを発見してくれますように。
(駿河台大学講師 近現代日本思想史/音楽評論家、映画評論家)