1999年12月維持会ニュースより
新響ホルン 大原久子
名前だけは有名なのに....
シューマンは大作曲家であるのは間違いないが、4つの交響曲をはじめオーケストラ作品が演奏される機会は意外に少ない。同じくドイツロマン派で4つの交響曲を残したブラームスと比べればその差は歴然である。ピアノ曲や歌曲にはいわゆる名曲が多いが(中学校の音楽の授業で「流浪の民」を歌った方もおられるのではないだろうか....この感動的な曲もシューマンの作品である)、私は長年オーケストラをやっていても実はシューマンの曲を演奏するのは初めてである。ちなみに、新響40数年の歴史で定期演奏会にブラームスの作品を取り上げたのは17回、シューマンは10年前に第4交響曲を演奏した1回のみである。シューマンの交響曲がピアノ曲や歌曲ほどに演奏されないのは、よく言われるように「オーケストレーションが悪い」からなのか?
シューマンの管弦楽曲の特徴を簡単に言うと、響きが重く、旋律が明瞭に聞こえてこないことだろうか。マーラーやリヒャルト・シュトラウスといった、いわゆるオーケストレーションの上手い曲は、オーケストラが「鳴る」し、透明感・鮮やかさがあるが、それに比べてシューマンは中間色、渋いパステル調・・・ソロはほとんどなく、いろいろな楽器の組合わせでユニゾン(同じ音を複数で演奏すること)あるいはオクターブルで演奏される箇所が多い。
マーラーはシューマンの交響曲に入れ込んでいて、詳しく修正をして(ユニゾンを減らしたり、部分的に別の楽器に換えたりして)演奏した。現在でも「マーラー版」としてCDが出ているが、明るくクリアではあるがいかにもマーラー的になってしまっているように聞こえる。不明瞭な響きであっても、それがシューマンの個性であり魅力であるのに・・・。「指揮者のコンクールでは課題曲に必ずシューマンを入れるべきだ」と指揮者のクルト・マズーア氏が言っているが、シューマンほど指揮者・オーケストラで違ってくる曲もないように思う。誰がやってもそれなりの音が鳴る(いわゆる「オーケストレーションがいい」)曲と違い、鳴りにくい譜面を鳴らすためにリハーサルに手がかかるというのも、なかなか演奏機会がない原因の一つだろうか。
ヴァルブ付きホルンとシューマン
オーケストラでシューマンを演奏したことがなくても、ホルン吹きにとって割と身近な存在に感じるのは『ホルンとピアノのためのアダージョとアレグロ』『4本のホルンのための小協奏曲』(ともに1849年作曲)といった作品の存在のためかもしれない。ピアノ、ヴァイオリン、チェロには各1曲ずつ協奏曲があるが、ホルンの他の管楽器のための協奏曲は存在しないし、管楽器を含む室内楽作品もクラリネットの入った小品があるだけである。そういった意味では、シューマンにとってホルンは特別であることは確かである。
そしてこの2曲はテクニック的にも難しい。ホルンが大活躍するマーラーやリヒャルト・シュトラウスでも高いF(実音)までしか(といっても十分高い音であるが)出てこないが、この『4本のホルンのための小協奏曲』にはその上のGやAが登場する(金管奏者にとって「高い音を出す」ということ自体が超絶テクニックなのだ)。
シューマンがオーケストラ曲を書いていた1840〜50年代というのは、ちょうどヴァルブのついたホルンが普及し始めた頃である。ヴァルブ付きホルンなくしてはこの2つの難曲は演奏不能である。それ以前はヴァルブのない「ナチュラルホルン」が使用されていた。その管の長さの倍音列(基音の1/2、1/3、1/4・・・1/16の長さの波長の音;下図)しか出せないので、曲・楽章によって楽器を持ち替えて管の長さを変える(換え管)、あるいは右手の操作(ベルをふさぐ)で倍音列以外の音を出していた。ヴァルブの発明により、1音・半音・1音半管を長くする3つのキーが付き、その組み合わせで7種類の倍音列を出すことが可能となり、結果半音階すべての音が右手の操作なしで出せるようになった。
ヴァルブ付きホルンにまつわる話を一つ。ベートーヴェンの第九交響曲の第3楽章に有名なホルンのソロが4番ホルンに割り振られている(普通ソロは1番ホルンが吹くと相場が決っているのに)が、これは一説によると、その時のオーケストラでヴァルブの付いたホルンを持っていたのが4番ホルン奏者だけだったかららしい。
シューマン以前の作曲家がナチュラルホルンを想定した曲を残したのに対し、ヴァルブホルンの発明によりシューマンはホルンにもっと多彩な表現を求めたのだろう。シューマンの交響曲第1番(1841年作曲)の冒頭のホルンとトランペットの序奏の音は、ゲヴァントハウス管弦楽団(その頃シューマンはライプツィヒで活動していた)のホルン奏者がヴァルブのないホルンを使用しており、「くしゃみのような音」(ベルを右手でふさいで出したのであろう)しか出すことができず大笑いになったため、初演の指揮をしたメンデルスゾーンがナチュラルホルンでも出せるように音を変更して(始めの2小節を全体的に3度高くした)出版されたということである。
何年か後ヴァルブホルンのそろったときに書かれていたら、この曲は違うものになっていただろうに。
シューマンを演奏するには忍耐が必要?
「よいオーケストレーションは各楽器をより効果的に使う」という意味で、シューマンは上手くなかったと言われている。とあるホルンのテクニック本に次のような記述がある。
シューマンのライン交響曲のトリオも、オーケストラにおけるホルン・パートの慣用的手法として作曲家が模範とすべきものではない。そのパッセージだけを取りあげれば、一応表面的には根拠があるように見えるが、その曲の周囲の状況を計算に入れて考えると、ホルンの書き方としては、やはり無神経な試みといわざるをえない。やや長すぎる上に、反復も多過ぎて、さらにオーケストラ全体から見た組み立てとしてやや露出し過ぎていることもいなめない。またパッセージの中に高いCの音が一つ二つあるうちはなんとか出せるが、作曲家がもしこのCを4回以上要求した場合には、相当危険なものになることを覚悟しなければならない。
(筆者注:ここでいう「高いC」は実音Eのことだと思う)
簡単に言うと「ずっと吹きっぱなしにして疲れたところでハイトーンを何度も吹かせて非常に危険」な状態なのである。奏者として曲に望むのは、カッコいいけど吹きやすくて、適度に休みがあって・・・というところなのに(この点マーラーは上手いのだ)。奏者をその気にさせ、コンディションも考えて良い演奏を引き出すのも、オーケストレーションが上手いことの要素だろうに。
茂木大輔氏(NHK交響楽団首席オーボエ奏者)の「楽器別人格形成論」によればホルン奏者は「寡黙で忍耐強い」そうである。内声部でひたすら伸ばしや後打ちをするのが重要な仕事であるから。弦楽器において同じような役割をしているとしたらヴィオラだろうか。そのためか、ホルン奏者とヴィオラ奏者はどうやら相性がいいらしい。最近退団した者も含めると、ホルンとヴィオラの組み合わせの夫婦は新響内で3組。練習後はいつもホルンとヴィオラ(他のパートの人もいるけど)で宴会してい
るし・・・。
と、話がそれてしまったが、世の中のホルン奏者はホルンで培った忍耐力で何とかシューマンを吹いているわけである。
「ホルンはオーケストラの魂」
これをシューマンの言葉としてどこかで聞いたことがあった。ずっと吹きっぱなしでも「ホルンはオーケストラの魂だ」となれば頑張る気にもなる。シューマンの交響曲は、概してホルンの音が常に鳴っている状態であるし、(他楽器とユニゾンではあるが)ホルンがテーマを担当することも多い。これが、シューマンのいう「オーケストラの魂」の根拠であり結果なのだと思っていた。ところが、どうやら違うらしい。
シューマンは作曲活動の他に、「新音楽時報」という雑誌を運営し評論家として活躍していた。ベートーヴェンを再評価し、ショパンやベルリオーズを有名にし、ブラームスを世に送り出した。また、シューベルトの名曲の発見もした。シューマンがベートーヴェンとシューベルトの墓に訪れた帰り道、シューベルトの兄がウィーンに住んでいることを思い出して訪問し、その兄がシューベルトのたくさんの草稿を所有していることを知り、そのなかのハ長調交響曲(第9番「ザ・グレート」)を選び出し、初演されることになったのだ。このハ長調交響曲について「新音楽時報」でこのように書いている。
あんなに感動的な第二楽章については、ぜひ一言しなければ気がすまない。この中でホルンが遠くから呼ぶ声のように聞こえてくるところがある。これをきくと、僕はこの世ならぬ声をきくような気がする。そうして天の賓客の忍び足で通ってゆく音を、傾聴するかの如く、全楽器ははたと止んで耳を澄ます。(吉田秀和:訳)
翻訳の際に「魂」という言葉が消えてしまったようだが、この部分から「ホルンはオーケストラの魂である」という銘文が生まれたそうである。
オーケストラが鳴りにくいとか、楽器の扱い方が悪いとか・・・それでもシューマン好きの人はものすごく好きなのである。その魅力は「独創性」「楽想の豊かさ」とか言われる。鮮やかなオーケストレーションの曲が聞きたければ、そういう作曲家の曲を聞けばよい。シューマンの場合は、むしろ技術的でない方が、音楽の美しさ・表現が活きるようにさえ感じる。
今回演奏する交響曲第3番は「ライン」と呼ばれているが、これはシューマンがつけた標題ではない。最初2楽章に「ラインの朝」、4楽章に「壮重な儀式の音楽の形式で」というタイトルがつけられたが、後にシューマン本人が「自分の心象をあらかじめ公にする必要はない」と取ってしまっている。ライン川の風景を描写した音楽ではないのである。
同じ時代のリストは"抽象的な"交響曲を廃して標題のついた「交響詩」というスタイルを作っていったが、当時シューマンとリストはかなり対立していた(これが後のブラームスとワーグナーの対立に発展する)。「ライン」はいわゆる標題音楽とは異なる。シューマンはあくまで古典主義的な理想の中で「交響曲」を守ったのである。ベートーヴェンの流れを受けて古典主義的な普遍性を重視した中でのロマンチシズムは、シューマンの真骨頂である。
ロマン主義・・・すなわち個性、感情、情熱。まさに「魂」こそがシューマンの最大の魅力であろう。