2000年6月維持会ニュースより
芥川 也寸志
ストラヴィンスキーのスコアを三冊、はじめて練習場の譜面台の上にのせたとき、一種の感慨の湧くのを禁じ得ませんでした。
それは“ああやれやれ”という感じに近い、いささか苦渋の味わいを伴ったものでした。どうにかこうにか、新響もここまでやってきたか、という思いだったのです。
そのときふと、前にも二回ほど、丁度今と同じ思いに駆られたことがあったのに気がつきました。
もう十数年も前のことになりますが、ベートーヴェンの第九のスコアをひろげたとき、もう一度は、マーラーの“巨人”のスコアを持って、指揮台に上ったときでした。
二十年近く前、新交響楽団というアマチュア・オーケストラを作った当時は、団員にとっても私にとっても、合唱交響曲を演奏するということが、一つの夢だったのです。そしてそれが実現するまでには、七年の歳月が必要でした。一口に七年とはいっても、一週に一度の練習の積み重ねでしか、このオーケストラは成長し得ないのですから、ずいぶん長い道を歩いてきたという感慨の湧くのも無理からぬことだったのです。
マーラーのときは、音を出す前にこう言ったのを今でも覚えています。
“新響もやっとマーラーに手がとどいたね。みなさん、おめでとう。”
ストラヴィンスキー三部作も、実は数年前からの一つの夢でした。練習量を必然的に要求されるこのプログラムは、プロのオーケストラにとってはスケジュールの上で、かなり無理なことではあっても、練習時間を豊富に持てるアマチュア・オーケストラの場合は、その点ではるかに有利であり、技術的な問題さえ克服できれば、アマチュアの個性を生かした絶好のプログラミングだと考えていたからです。まず“火の鳥”をプロの一部とするコンサートをやり、その次に“ペトルーシュカ”を経験し、それから“春の祭典”に集中する−したがって、これも一年がかりとなりました。
何をやるにも手間ひまがかかり、また、その手間ひまを厭わず、手を抜かずに正直にやっていくのがアマチュアというものです。
実は、私にとってストラヴィンスキーという作曲家は、ある特別な意味を持っています。それは全く特種な体験だと思うのですが、私は幼稚園にも行かぬまだ小さな子どもの頃、毎日毎日、手まわしのゼンマイ式の蓄音機で、“火の鳥”や“ペトルーシュカ”を聞きながら育ったのです。本当に毎日聞いていました。ですから、幼稚園に通う頃には、もう“火の鳥”の子守唄などを口づさんでいたのです。
ベートーヴェンやシューベルトのレコードなどは一枚もありませんでしたから、音楽は全部こういうものだと思って育ってしまいました。ですから、小学校へ行くようになって、はじめてベートーヴェンの“月光の曲”を聞かされたとき、その簡単なことにびっくり仰天したのを、今でもよく覚えています。
ストラヴィンスキーの音楽を聞くと、私の中には少年の頃のすべての想い出が、あとからあとから湧き上ってくるのです。長かった新響との生活と、それはあたかも二重写しのようになって、私にある感慨をおこさせるのです。
広い音楽世界には、一見美しくても内容の空虚なもの、ただただ醜悪なもの、魅力はあっても刃のように冷たいもの、暖かくはあっても魅力に欠けるものなど、さまざまな風景が見られますが、私はアマチュアの諸君が、ひたむきに音楽を求める姿は、内容の充実したもっとも美しいものの一つだと固く信じています。
そしてそれは、まさしく音楽世界の中心に位するものだと思っています。
遅々とした歩みを続ける新響にとって、このことを信じる以外に、何の救いもありません。そして、ストラヴィンスキーのコンサートは、多分、彼等にこの確信を植えつけるのに大いに役立つことでしょう。
そのなかから、また一つの新しい夢が生れるのです。