「おほむたから」とは?(資料集)
「おほむたから」スコアの表紙
有馬大五郎氏の筆と言われている
*マイクロコピーを複写したものなので、画質が悪くて申し訳ありません
----上の方に書かれている文章----
神武天皇の皇都(みやこ)を大和橿原(やまとのかしはら)に
お定め遊ばす時
且(ま)た當(まさ)に山林を披拂(ひらきはら)ひ宮室(おほみや)を
経営(をさめつく)り恭(つつし)みて宝位(たかみくら)に臨み 以て
元元(おほむたから)を鎮むべし云々
と詔(のたま)はせ給ふた
このおほむたからハすなはち「大御寶(おほみたから)」で
國民を指してかく仰せられた 尊く
ありがたい御言葉である
この大御寶(おほみたから)の詔(みことのり)は 初め
天皇の「大御田の田子等(おほみたのたこら)」の義で
農民を主とした言葉とされてゐるが
天皇の民を愛撫し慈育し給ふ
御心(みこころ)が深く 從って美稱に止らず
大御心(おおみこころ)の 御現れ 御表現で
大御寶(おほみたから)と 尊く ありがたく 発展したことハ
まことに畏(かしこ)ききはみである
しづたまき いやしき われも すめらぎの
おほみたからぞ つくさでやまめや
丸山作楽(さらく)
注:カッコ内は振り仮名
----下の方に貼られた記事(出典不明)の切り抜きの文章----
おほむたから
山田 和男
古事記に出てくる「おほむたから」なる言葉は、現今われわれの用いている「おほみたから」の源語である。
この「おほむたから」とは天皇の「大御田(おほむた)の田子等(たこら)」の義であって、初め瑞穂国の農民を主とした言葉とされていたが、後世になって、天皇の民を愛撫し、慈育し給う御心深く、従って臣民全般に対して「大御宝」という大御心の御表現に尊く発展したものなのである。
さて、十四分程の短いこの曲について何等説明めいたものを書く気もしない。只、今日の壮大な歴史の意志のなかにあって、草莽の微忠をかたむけつくして書いたつもりのこの曲が、香気なきいたずらな怒号に終わってはいけないと私は幾度か筆を投げうったことである。それはこのたぐいの題材を心なく扱う人々の氾濫に恐怖している私が、ただただ斯かる題材を扱うに適した自分の資格をつくることにまづまづ力を傾けなければと、日々思い知らされているこのごろであるからである。(和男)
東京・阿佐谷にて
敵クウェゼリン嶋上陸の報道をきゝ乍ら(これは最後の小節の下に書かれていた)
注:作曲当時(1944年)山田和男(本名)のちに一雄に改名
----初演当時を振り返る作曲家本人の随筆----
三宅春恵さんとの共演
兵隊から戻ったわたしを待ち受けていた「東京での仕事」とは、大日本帝国の健在を誇示するための、海外向け国威宣伝放送だった。ラジオを通じて、日響の大オーケストラを放送し、
「戦時下でも、これだけの余力がある。」
ということを、外地の同胞に伝えて、戦意高揚を意図するものだった。
音楽会でも、まず初めに「皇居遥拝!」の号令のもとに楽員も聴衆も宮城の方角に向かって最敬礼し、『君が代』奉唱や『愛国行進曲』を歌い、「聖寿万歳」を唱和する。その後に本番の演奏を行っていた。
このほか、楽団総動員大演奏会や白衣の勇士慰問演奏会、国民音楽会、フィリピン音楽の夕べ、映画『あの旗を撃て』の音楽演奏会等々、士気高揚のためにあらゆる催しに駆り出された。また、日本音楽文化協会と日響の主催による、軍用機「音楽号」の献納運動音楽会なども行われた。こうした中で、昭和二十年一月下旬、日響の第五回定期演奏会に、わたしは自作の曲『おほむたから』をのせた。
題の「おほむたから」は、古事記に出てくる言葉で、わたしはこの曲の中に、古き時代から続いてきた日本の壮大な歴史と伝説、そして美しい国土を愛する気持を注ぎ込んだ。戦争の軍歌調ににられるように、香気なく、いたずらに勇ましいばかりの怒号に終始しがちな音楽の現状。音楽を戦意高揚に結びつけがちな人々の多いことへの恐怖----。
なおざりにされ、忘れ去られているような、素朴で尊い、大きな人間愛のすばらしさを、わたしはオーケストラ空間に表現していった。
曲想の中には、天台宗の「声明」も採り入れた。仏教の声明には、単純な中にも複雑なリズムが介されており、ある意味において、日本の音楽の原点ともいえるものがある。この、日本固有の、優れた伝統を有する声明。不思議に人の心を突き動かすリズムをもつ声明を採り入れて、普遍的な人間愛を歌いあげよう----、と思ったのである。
こうして、わたしが懸命に書いた『おほむたから』は、四管編成、十五分程度と短いけれど、分厚いオーケストラ曲になった。完成したわたしのスコアに、有馬大五郎氏が、毛筆を大きく走らせて、見事な字で「おほみたから」と書き入れて、祝福してくれたことも、今となっては忘れ難い思い出になっている。
この、日響の第五回定期演奏会では、ソプラノの三宅春恵さんがマーラーの『第四番』で独唱してくれた。
(以下省略)
山田一雄著「一音百態」音楽之友社(1992年)より