2001年3月維持会ニュースより


「上原邸訪問紀」

長島 良夫(チェロ)

 新響の団員だった上原誠さんが、沖縄の海で亡くなって、はや半年が経とうとしています。上原さんは新響の古くからの団員であるとともに、熱心な音楽愛好家でもありました。さまざまな演奏会にも、ことあるごとに足を運びました。とくに、ヤマカズさんが新響を指揮するようになってからは、ヤマカズさんの演奏会に丹念に通い、ついにはヤマカズさんの業績をまとめることをライフワークにするほどになりました。しかし、死は突然訪れました。これからまとめるべき膨大な資料の山を残して。
 以下の手紙は、上原さんのご自宅へ、上原さんが遺した資料を収集しに伺ったときの模様を、新響の団員に向けて出したものです。以下、本文。
 今月の12日に、新響アーカイブの門倉百合子さんと上原さんのお宅へ行ってきました。目的は、上原さんが遺した山田一雄関係の資料の収集です。この資料を、4月の「山田一雄没後10年」演奏会のプログラムに活かそうというのです。
 上原さんのお宅へお邪魔するのはこれが初めてです。新響アーカイブの方たちは、一度訪れているとのこと。奥様が、駅まで車で迎えに来てくださいました。
 ご自宅は丘の上にありました。歩くとかなりの坂道です。雪のときはかなり滑りそう。雪の日は、タクシーは家の前までは行かないそうです。
 玄関で、娘さんが出迎えてくれました。何回かお見掛けしましたが、やはり、上原さんにそっくり!玄関から居間に入ってすぐの棚の中には、上原さんが生前聴いていたオーディオ装置が収まっていました。寸法も、全部測って家具屋に特注したそうです。
 その棚には、上原さんが集められた組み物のLPがうずたかく積まれていました。交響曲全集や『魔笛』とか『指環』のようなオペラのLPが多かったですね。一枚もののLPは、多分、他の棚に整理されているのでしょう。
 そのたくさんのLPに混じって、R.シュトラウスの歌劇『ナクソス島のアリアドネ』のLPがありました。
 そういえば以前にも、維持会ニュースに書いたのですが、4月の演奏会のレセプションのあと、みんなで田中さんの家に遊びに行ったときのこと。
 そのときは、上原さんとR.シュトラウスのオペラの話になりました。昨年の10月にウィーン国立歌劇場の引越し公演が予定されていたのですが、その演目の中に『ナクソス島のアリアドネ』がありました。それで、オペラ好きの上原さんに、一緒に観に行きませんかと申し上げたところ、「それは是非観たいね」と。上原さんは、何しろお忙しい方でしたので、半年も先のことに、即座に意志表示をされたのは、ちょっと意外でした。
 そんなことを、奥様に申し上げました。すると奥様は突然、「今、曲名を何とおっしゃいました?」と聞きました。「『ナクソス島のアリアドネ』です。」「それなら、たしか、ウィーンかミュンヘンで聴いています。新婚旅行のときです。結婚して、年末に行ったんですよ。新婚旅行に。」そうして、このときのアルバムを見せてくださいました。
 アルバムには、いかにも几帳面な上原さんらしく、ウィーンやミュンヘンで写した写真に混じって、丹念に、航空券や美術館やコンサートの入場券が貼り付けてあります。
 その中に、バイエルン国立歌劇場の『ナクソス島のアリアドネ』の配役表がありました。N響の名誉指揮者であるウォルフガング・サバリッシュの指揮です。上原さんのことですから、演目にあわせて旅行の日程を組んだのでしょう。
 この曲は、上原さんの思い出の曲のひとつだったんですね。昨年4月の田中さんのお宅での反応の素早さの理由のひとつは、そんなところにもあったのでしょうか。
 上原さんはR.シュトラウスのオペラ、とくに『ばらの騎士』や『影のない女』など、R.シュトラウスがホフマンスタールと組んで作った作品を、「オペラの歴史の中でも、最高峰の作品といえるのじゃないかな」と評価していました。『ナクソス』の台本も、当然、原案の段階からホフマンスタールが作っていますね。
 しかし、上原さんは、新婚旅行で行ったなんて、一言もいってなかったですよ。そういうところが、いかにも上原さんらしい。一度、外国のオペラハウスで聴いたことがあるとおっしゃっていましたが、私は、どこかのオペラハウスの引越し公演で聴いたのだとばかり思っていました。
 そのあと、門倉さんと2階の上原さんの資料室ともいえるような小さな部屋で、資料を探しました。上原さんが亡くなってから、この部屋は、ほとんど手を付けていないそうです。
 窓際の机の横には、演奏会のチラシの束がダブルクリップで留めてあり、それがフックで吊り下げられているのですが、何枚か留めてあるチラシの一番上に、昨秋のウィーン国立歌劇場来日公演のチラシが止めてありました。上原さんは、『ナクソス』を観るおつもりだたのでしょうね。この部屋では、時間が止まっているのです。
 3時間半ほど、上原さんが収集された資料を見せていただきました。
 これらの資料の中から、ヤマカズさんの指揮したプロ・オケの演奏会のプログラムを多数抜き出しました。これらの資料は、すでに、オーケストラ別に分かれているし、その上、年代順に並べているので、探すのも容易でした。しかし、その数の多いこと!
 それと、奥様にお願いして、上原さんの撮ったかもしれないヤマカズさんの写真を探していただきました。確証はなかったのですが、上原さんなら絶対に撮っているという気がしたのです。
 奥様も、家族のアルバムはきちんと整理されているものの、音楽関係の写真があるかどうかは全くご存知がないようで、1時間以上も写真のありかを探してくださいました。
 その結果、写真やネガがいくつも出てきました。靴のあき箱に入って5、6箱分です。
 その中からは、新響の団員の写真や花の写真に混じって、ヤマカズさんの写真が続々と出てきました。ほとんどがリハーサル中の写真であり、被写体はヤマカズさんのみのものばかりで、弾いている団員が写っている物は稀にしかありません。
 上原さんは、ひたすらヤマカズさんの「一音百態」のみを追い掛けていたのですね。上原さんのヤマカズさんに対する執念をまざまざと感じさせられました。
 そして、その写真の素晴らしいこと! 時々刻々と移ろい行くヤマカズさんの表情を、カメラは正確に捉えています。これは、単なる記録というより、一個の芸術作品です。
 作業終了後にお母様と談話。これはそのときの話。
 「先日は、演奏会に伺えなくて申し訳ございませんでした。何しろあの雪でねえ。私は行こうとしたんですが、みんなからは、危ないからやめた方がいいって止められまして。
 『惑星』は、誠も好きだった曲のようで、是非ともお伺いしたかったのでございましたが、ほんとうに残念でした。
 演奏会が終わりまして、そのすぐ後に、今尾さんの方からお手紙とプログラムを送っていただきました。それで、お墓参りのときに、それを持って誠に見せてきましたよ。ほら、新響で『惑星』をやったんだよって。」
「わたくし、今でもコーラスをやっているのですが、コーラスをやっていてほんとうによかったと思いました。コーラスをやっていなかったら、このことに耐えられたかどうか。
 このコーラスのメンバーは、わたくしと同じような年配の人ばかりで、みんな未亡人なんです。その中には子供を亡くした人もありましてね。とくに何かをいって慰めてくれるようなことはないんですが、わたくしに対するみなさんの心遣いがわかるんですよね。それで、ずいぶん励まされまして。わたくし、あれでほんとうに救われました。」(中略)
 上原さんのお宅を辞去する際に、上原さんお母さん手作りのマーマレードをいただきました。
「これは添加物も何も入っていないんですよ。何から何まで手作りなんです。誠はこれが好物で。もう食べちゃった。はい、おかわりなんていったりしてねえ。」
 しかし、このマーマレード、私がいただいてしまってよかったのでしょうか? 帰りの電車の中で、だんだんと後悔の念が湧いてきました。なんだか、とても大切な物をいただいてしまったような気がしてしまって。
 家に帰って、マーマレードは早速冷蔵庫にしまいました。しかし、このマーマレードの瓶のふたを開けるのはいつの日でしょう。いずれにしても、これを食べるのは多分の勇気がいりそうです。


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