2004年6月維持会ニュースより


ラフマニノフについての研究と考察

稲田 真(チェロ)

 こんにちは。チェロパートの稲田ペコマです。新響には去年の秋ごろに入団いたしました。入団していつの間にか半年たったわけですが、本当にこのオケに入ってよかったと思っています。何が良かったかといいますと、もちろん、素晴らしい指揮者と共に素晴らしい音楽ができるから、というのは当然なのですが、そういうことではなくて、なんか、こう、雰囲気みたいのがいいのです。この雰囲気を言葉で説明しても、なんだか味気が無くなるのでやめておきますが、多分、みなさんも感じているその感じです。
 さて、今回はラフマニノフについて書くことになっているので、僕がピアノコンチェルト3番の解説をします。ラフマニノフはロシアの作曲家で、ピアコン3番もロシアっぽいメロディーで魅力的な曲らしいです。途中からアメリカにいたらしいです。チャイコフスキーと何が違うかとかはよくわかりません。
 そうですね、僕はラフマニノフが好きです。どう好きかというと、こう、雰囲気みたいのがいいのです。この雰囲気を言葉で説明しても、なんだか味が付いてしまいそうなのでやめておきますが、多分、みなさんも感じているその感じです。新響のそれと近いその感じです。あえて、それを言葉で表すのであれば、「幸せ」が一番近いでしょう。
 だけど、「幸せ」って、なんなのでしょう。
 いろいろあります。自販機のおつりが多かったとき。切符の番号が1111だったとき。その切符をなくして焦っていたら、逆のポケットに入っていたとき。練習場所に着いたらちょうど椅子を並べ終わったところだったとき。自分がおちたと思ったらトップもおちてたとき。次の日が休日だと気がついたとき。・・・。人生とは、このように様々な「幸せ」が蓄積されることにより構成されているのだと思います。
 昔、習っていたチェロの先生に「きみはまだ、チェロを弾いていて幸せを感じたことがないみたいだな」と言われたことがあります。確かにそのころは、なぜチェロを弾いているかもわからなかったし、自分のやっていることが音楽かどうかもよくわからなかったです。しかし、音に感情を込めることを知りました。激しいフレーズでは、むかつく友達をぶん殴るつもりで弾いて、やわらかいフレーズでは、好きな女の子のことを思いながら弾きました。そしたら、なんだか楽しくなって「ああ、これが先生の言ってた幸せか」って一人で勘違いしてました。
 でも、だが、しかし、それは半分は勘違いではないのです。なぜなら、「幸せ」と、感情を込めることは密接に結びついているからです。前に述べた通り、「幸せ」とは人生の構成要素のことです。「幸せ」と、単純に楽しいこととは違います。切符をなくして焦ることは楽しくないし、毎日働いているから休日が幸せなわけだし、つまり、「幸せ」(=人生の構成要素)というのは、苦しみとか、憂いとか、そういう人間のもち得る感情すべてをごちゃ混ぜにして、それでも、ああ、生きてて良かったって思える瞬間のことです。感情のこもった演奏には「幸せ」を感じます。感情をこめて演奏すると「幸せ」を感じます。その日の悲しいこととか、楽しいこととか、全部忘れて「幸せ」になれるのです。
 そうですね、僕はラフマニノフが好きです。どう好きかというと、こう、雰囲気みたいのがいいのです。この雰囲気を言葉で説明しても、風味を損なう恐れがあるのでやめておきますが、多分、みなさんも感じているその感じです。新響のそれと近いその感じです。あえて、それを言葉で表すのであれば、「幸せ」になります。


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