2004年9月維持会ニュースより
チャイコフスキーへの想い〜チューバ吹きの告白
土田恭四郎(チューバ)
チューバという楽器に強い興味と憧れを持つようになったのは、今を去る30年以上前の中学2年の夏休み、チャイコフスキーのバレエ音楽にのめりこんだのがきっかけだった。
暑い夏休み、当時私の家は半年だけ小石川の狭いアパートに引っ越していて、思春期特有の?悶々とした毎日を過ごしていた。家に居ても兄が3人もいて暑いだけなので、夏休みの宿題を片付けるという高尚な目的のため、連日冷房の効いている向いの小石川図書館に居続けていたのである。当時からこの図書館には、音楽資料、すなわちレコード、スコア、専門書、雑誌が充実しており、視聴や貸し出しも行っていたので、毎日勉強そっちのけで、ここぞとばかりいろいろな本(音楽以外も含め、高尚なものとは限らない)を読んだり、レコードを聴いたり借りたりして遊んでいた。オペラではワグナーの「ニーベルンゲンの指環」全曲とか、なぜかひたすらカラヤンの「こうもり」、管弦楽ではこれまたドボルザークの「新世界」とか、スコアをとにかく必至な形相で追っていたストラヴィンスキーの「春の祭典」とか、懐かしい。
ところで、私は小学校の時、器楽部というクラブでトランペットとアコーディオンを演奏していた。小学校創立100周年記念の学芸会が中2の時にあり、音楽の先生の号令で、クラブのOBが集まって先生のコーラスの伴奏、曲はワグナー「タンホイザー」から「グランド・マーチ」を演奏したが、えらそうなことを言うとこのときなぜかトランペットに限界を感じて(ハイトーンが吹けなくなった)、ユーフォニウムで参加したことがきっかけとなり、低音の金管楽器に興味を抱き始めた時期でもあった。
ある日、一人でディズニー映画「眠りの森の美女」を観に行ってすごく気に入ってしまい(面白くて2回続けて見てしまった!)、そのときバックに流れていた音楽、チャイコフスキーのバレエ曲「眠りの森の美女」からあの有名な「ワルツ」が頭から離れず、それからというもの、図書館でスコアを見ながらひたすら組曲を聴きまくった。この「ワルツ」を聴くためにレコードを借りると、当然「三大バレエ組曲」と銘打ったレコードなので、必然的に「白鳥の湖」とかの他のバレエ組曲も聴くことになり、チャイコフスキー独特の優美で且つ厚い音楽に没頭、トゥッティで鳴り響くトロンボーンとチューバのユニゾン、特にチューバのぶ厚くて太い響きに魅入られてしまったのである。
もともと、チャイコフスキーの音楽は小さい時分に母と一緒に観たディズニー映画「ファンタジア」の中の「くるみ割り人形」、特に最後の「花のワルツ」の映像の面白さと美しさが心に残っていた程度だったが、中2の時の圧倒的ともいえる出会いから、音楽に対する見方が変わってしまったのである。
とにかく、寝ても醒めてもチューバのことばかり。中学校には軽音楽のクラブがあるのみでいわゆるブラスバンドがなく、親に楽器を買って欲しいとも言えず、当時の池袋ヤマハに行ってはカタログや楽器をながめていたり、しまいにはなんとエチュードや楽器図鑑まで買ってしまって毎日ながめていたりしている始末。他に何していたのか記憶にない。ただ当時は通っていたピアノ教室も辞めてしまい、学校の成績もよろしからず、入ったクラブ活動(化石が好きだったから地学同好会)も中途半端で、こいつ将来どうするの?みたいな、だいぶ親に心配をかけていたことも事実であった。とにかく音楽を全てチューバの観点からながめて、チューバのある曲だったら何でもOKみたいな、ますますチューバを通して、図書館という独特の空間の中で、交響曲、オペラ、バレエ音楽、吹奏楽にのめりこんでいったのである。
その後どうなったかというと、高校生の時、音楽のクラブは合唱しかなかったので仕方なく入部したが、今度は合唱にのめりこんでしまい、チューバだったらなんでもOK、プラス合唱だったら何でもOK、という状況になってしまった。チューバへの憧景は一時お休みとなったが、高校3年生のとき、ひょんなことから一般の吹奏楽団に入って念願かなってチューバを担当、同時に高校生なのに大学のオケに入って後はチューバ道ひた走り、といった次第である。実家と大学までの距離が歩いて15分なくせに、連日オケの仲間と彼らの下宿に泊り込んで朝までいろいろなレコードを聴き漁り、安酒を煽りながら、チャイコの五番やりてー!などと叫んでいた。
この時以来、現在までチャイコフスキーに関しては、おかげさまで新響をはじめ多くのオケにて演奏する機会に恵まれ、かつての想いが存分に叶えられている。しかしながらこのところチャイコフスキーの曲を演奏するのがある意味で億劫になってきたのも事実である。
とにかく吹くところが多い。しかもフォルテやフォルティシモがいっぱい散らばっている。これが永く続くのがしんどくなってきた。彼のオーケストレーションは、バストロンボーンと1オクターブとかのユニゾンでコントラバスとかファゴットと一緒、すなわちオケの低音の補強というパターン、どちらかというとコントラバス的チューバとして使用されていることが多い。逆に言えばチューバの出番でピアノを探す方が珍しい。もちろん同じテーマが何度も出てくるときとかで、最初がチューバだったら次はバストロンボーンだったり、あるいはその逆だったりといったようにオーケストレーションの違いがあってすごく練れているし、「悲愴」とか「五番」とかになると吹きどころが多いだけでなく、変化に富んでいて「悲愴」終盤の秀逸なコラールとか、全体に決め所が多く、満足感の得られる、それだけにやりがいのある曲も多い。問題なのは、圧倒的なトゥッティの響きの中で、基本的な演奏技術(発音、音色、アーティクレーション、安定した音の持続、最後の音の処理)に立ったオケの中でのかなりの技術とアンサンブル能力を一旦置き去りにしても、とにかく若さや体力に任せてでかい音を最後まで出していればOKみたいな、最後にブラボー!が飛び出せばよし、みたいな演奏になる可能性が高く、そういうのはつまらない、ということだ。ただ力で押すような、体力のみ、というだけでないバランス感覚を伴った演奏技術が必要で、オケ全体の響きを支える存在感のある充分な響きを創造しなければならない。
誠に僭越ながら永年チューバを演奏していると、いろいろな作曲家の作品毎に経験としてオーケストラの演奏方法がノウハウとして蓄積され、自分の財産となっている。もちろんこれは数多くの指揮者、トレーナーの先生方からのご指導を通して得た知識をふまえての試行錯誤が元になっており、例えば、ここはこういうアーティクレーションでとか、バランスはこんな感じでとか、フレージングはこういうように考えるとか、ここはオケのこのパートを見るとか、このパートの音やフレーズを感じてとか、ブレスはこの部分で取るとか、もちろんチャイコフスキーの各作品についても同様だ。今回演奏する「交響曲第4番」は、自分自身何度も演奏していても、とにかくしっかりとした響きでフレーズの終わりまで確実に演奏する!ということが全てである。パート譜を御覧なさい。出番があるのは全てフォルテ以上で、唯一メゾフォルテが4楽章の一部にしかない。さらにチャイコフスキーのオーケストラ作品にはチューバがある曲が多くしかも徹底している。今回の演奏会は3曲とも吹かなければならない。実に濃いプログラムである。練習前にやる気爆発!で臨まなければ!!がんばろう!!
厳しいことばかり考えると落ち込むので、見方を変えてみると、このようにやたらとチューバがあるのは珍しいのではないだろうか。ブラームスを見よ。チューバがある方が珍しい。ブラームスの場合、出番こそ少ないがトロンボーンとのハーモニーといい重要なところでの決め所が多く、オーケストラのチューバを存分に味わうことができる。ブルックナーだって初期の作品にはチューバがなく曲によっては後世書き加えているし、ワグナーも曲そのものがべらぼうに長いだけで、出番だけで言えば出ずっぱり、ということはない。マーラーも出番が多いが、チャイコフスキーのようにフォルテばっかり、ということはない。
チャイコフスキーの音楽を通してあらためて思うのは、彼の音楽は実に個性的で際立っているということだ。当時のロシアにおける観念主義と現実主義との対立、社会構造の変革を見据えたすなわち帝政時代の黄昏という革命前夜の、ある面では不安定で新旧の対立が混在していた時代の中で、彼はあらゆる音楽の様式を吸収し、数多くの作曲家や音楽家と交流をもちながらある程度の距離を保って、当時台頭してきた国民学派とは異なる自己の音楽スタイルを確立してきたということを感じる。ペテルブルグ音楽院で学びモスクワ音楽院で教鞭をとっていたことによる交友関係と、特に晩年のヨーロッパ各地の著名な音楽家との出会いと交流が、いろいろな意味で広く彼の個性を世間の中で際立たせているに違いない。
チャイコフスキーという人物、例えばモーホだったとか、奇妙な女性問題、オペラ歌手との婚約に対する周囲の反対と破綻、メック夫人との文通だけの交際14年、実質2ヵ月半だけの結婚生活、とか、彼の死の謎、コレラか自殺か(というより自殺させられたか)など、いろいろと複雑な人であったようだがそういうことはともかく、ただ彼の哀愁感ただよう素晴らしいメロディと厚い音の響きの中にひたすら身をまかせて、彼の圧倒的に際立った美しい音楽を堪能していきたい。
ところで最後にひとこと。今回演奏する「ロメオとジュリエット」だが、最後のModerato assaiの部分、ティンパニーのリズムにのって、チューバがピアノで実音Hを延々9小節ちかくソロで吹くところがある。これ、どのようにロングトーンを処理するのか、どこでブレスをするのかなどいろいろノウハウがある。皆さんどうぞお楽しみに。