2004年12月維持会ニュースより
ある元ブラバン少年の思い
松井祐介(コントラバス)
今回の演奏曲目はレスピーギ「ローマ三部作」。この曲目に吹奏楽(ブラバン)あがりの者は特別な感慨をもつであろう。私は幼少期にピアノ、ヴァイオリン等を習ったわけでもないので、音楽的にはほぼ吹奏楽の中で育ってきた。恥を忍んで私の音楽体験を語ってしまおう。
家族にはクラシック音楽を聴く趣味の者はいなく、唯一接しえたクラシック音楽は小学校入学と同時に買ってもらった小学生向けの音楽セットのレコード!であった。唱歌みたいなものも入っている詰め合わせレコードの中にクラシック曲のレコードもあった。オーケストラ曲もあったようだが、なぜか小学生の私はピアノ曲ばかり聴いていた。「子犬のワルツ」、「幻想即興曲」などのよくあるラインナップなのだが、飽きもせず聴いていた。もはや聴いた回数は「宇宙戦艦ヤマト」に匹敵するであろう。それが小学校低学年時の遊びであった。小学生のレコードの扱いは乱暴極まりなかったであろう。後にゲーム少年となってレコードは聴かなくなり、CD時代になってレコードはとうとう埃まみれになった。唯一聴いたオケ曲は「ドラクエIII」のオーケストラバージョンであったか? それでも「天空の城ラピュタ」のオープニングの曲がオーケストラ編成だという認識はできたようである。
中学は田舎の弱小吹奏楽部で、オーケストラ編曲は演奏しなかった(できなかった?)ので吹奏楽がらみでオケ曲を聴いたことはなかった。しかしなぜか次第にオーケストラに興味を持ち始め、音楽室にあった鑑賞用CDからダビングしたテープ!で「新世界から」、「我が祖国」などをまたも飽きずに聴いていた。
本格的な音楽体験は高校時代に始まった。入部したての頃、部内では吹奏楽コンクールの曲目を決めている最中であった。その候補曲にヒンデミット「ウェーバーの主題による交響的変容」があった。初めて聴いたこの曲を私はえらく気に入ってしまい、ブラバン版であったがCDを聴きまくっていた。高校生になって初めてオーケストラスコアなるものも見た。部室の楽譜棚にあった「カルミナ・ブラーナ」だった。この曲も吹奏楽でよく演奏される曲で、吹奏楽版のCDをこれまた飽きもせず聴いていた。そうしてどんどんオケ曲にはまっていき、遂に高校1年生にして初めてクラシックのCDを買った。例の「カルミナ・ブラーナ」と、吹奏楽とは関係ないがどこからか「すごい曲」という情報を仕入れてきた「春の祭典」であった。このラインナップで私のオーケストラ観は決まってしまった。
部室にはたくさん吹奏楽コンクールのCDがあった。それらを聴いていわゆる「派手めのオケ曲」はおそらくほとんど聴いてしまったであろう。海、惑星、寄港地、ガイーヌ、ダフニスとクロエ、アルプス交響曲...ブラバン少年(少女)なら必修というべき曲だろうか。それらの曲は後にオーケストラ版?のCDで揃えられることとなる。それらの曲の中に「ローマの祭り」があった。演奏は習志野高校、指揮は新妻寛。吹奏楽界では有名人であった。のちに新妻氏は元新響団員であったことがわかりびっくりしてしまったが、当時はそんな数奇な運命?になろうとはもちろん夢にも思わなかった。新響の名前すら知らなかっただろう。
練習をさぼって読みふけっていたバンドジャーナルに載っていた某高校のウィーンのムジークフェラインでの演奏会、一流レーベルでのCD録音・販売など「自分と同じ高校生が...」と悔しがっていた田舎の少年の夢はそう遠くない将来に叶えられた。すなわち大学オケでのヨーロッパ演奏旅行と伊福部昭米寿記念演奏会のCD。叶えられたときはもちろんうれしかった。ではその次の夢は一体? 秘境への演奏旅行? さらにCDを増やすのか? それとも? 元ブラバン少年の夢はまだまだ続く。