2005年6月維持会ニュースより
<テンヤテンヤ> ショートエッセイ
土田 恭四郎(チューバ)
独特なリズムが全編を貫いている矢代秋雄の「交響曲」の第2楽章は、獅子文六の小説「自由学校」にでてくる神楽太鼓の音を描写した文章に想を得た、という。詳細については割愛するが、あの「テンヤ・テンヤ・テン・テンヤ・テンヤ」というリズムは、日本語の持つ魔力というか、妙に自分の心のリズム表現にピタッとはまる感じがある。実は今回、プログラムに掲載するため、東京芸大で矢代秋雄氏に教わったお弟子さんとインタビューを実施するにあたり、矢代秋雄氏に関する書籍や資料をいろいろと読んだが、その中の一冊で、音楽之友社「対談集 矢代秋雄 音楽の世界」の中に、富樫康氏との対談で興味深い内容があった。
要約すると、日フィルが初演した時、あのリズムは結構とりにくいので、上記の「テンヤテンヤ」を教えてやったとか、N響で演奏した時、始めのうちは皆リズムがとれなくて大騒ぎしたが、覚えちゃったらなんでもない、とか、東フィルで2楽章と3楽章をやった時、指揮者の山田和男(一雄)が「テンヤワンヤ、それテンヤワンヤ」と数えさせた、そんな風に言葉をつけてリズムを覚えるとうまくいく、という矢代氏の話である。ところが、パリでそれやったら大騒ぎにあった、とのこと。(1964年3月パリにてフランス国立放送局フィルにての演奏) “テンヤテンヤ”といってもどうしようもなく、彼らは、“123、123、12、123、123、”と数えるから、リズム感が全然変わっちゃう、近代曲をずいぶんやっているオケなのに、西洋人はそういう不規則なリズムがつかめない、やっぱりリズムを数えるとき、きちんとしたよりどころがないと数えられないんだね、と矢代氏と富樫氏がお互いに話している。
これを読んだとき、なるほどねえ、外人には外人のやり方があるんだよな、と思いつつ、そういえば、日本人って昔から口三味線というか「チン・トン・シャン」のように、音や奏法を口伝で伝えるための語法、「宮さん宮さん 〜 トコトンヤレトンヤレナ」みたいな音のとり方、という事が気になってきた。明治になって西洋音楽が導入され、明治の始めの「ピョンコ節」といった「ラッタ・ラッタ」という音型と日本語との関係、例えば「故郷の空(夕空はれて〜)」、「鉄道唱歌(汽笛一声新橋を〜)」、軍歌「勇敢なる水兵(煙も見えず雲もなく〜)」、山田耕作の「一音符一語主義」「言葉の抑揚と旋律の抑揚の一致」の取り組み、すなわち、日本語における擬音を表現する古来からある表現の豊かさ、多様さ、明治以降に現れたひとつの音型に言葉を押し込めてしまう場合の問題、その後の音と言葉の固有な結びつきへの模索、など高尚な話題が頭の中を駆け巡っているが、一方、演奏する立場から、言葉を付けてリズムを覚えるための「よりどころ」ということで、岩城宏之氏から練習の時に直接伺った話を突然思い出す。
今から20年近く前、大学のOBオケでの演奏会で、オルフ「カルミナ・ブラーナ」を学校の先輩である岩城氏が指揮された時、「ター・ター・ター・ター・タヤタ、ター・ター・ター・ター・タヤタ・タヤタ」というリズムを、練習の時に先生はリズムの数え方として、「僕は、2連符は“アジャ!”3連符は“アジャパ!”と昔から言葉を付けている。だから、ここのところは“アジャ・アジャ・アジャ・アジャ・アジャパ、アジャ・アジャ・アジャ・アジャ・アジャパ・アジャパ”だ。それぞれの指揮者によって自分で納得できる言葉があって、例えば小澤君は○○○だし、皆も自分にあった言葉をつけるとリズムがとりやすいぞ。」みたいなことをおっしゃった。これ、後に「春の祭典」を岩城氏の指揮で演奏した時も、変拍子のところで同様の話をされたことがあり、たぶん昔、岩城氏が指揮をされていたWオケとかの方もよくご存知と思われる有名な話らしい。他の指揮者の方々からも、あの人はこういう言葉、この先生はこういう言葉でリズムを数える、という話の実例として、岩城氏のこのリズムの数え方を聞いたことがある。
あくまでも岩城氏のオリジナルではあるが、何か妙に納得した覚えがあり、1拍目が母音の「ア」だと、音に力が入って理解しやすいのであろう。未だに耳に残っている。やはり、日本人には日本語の発声によるよりどころが重要なのだ。きっと。日本以上に海外では、特に口承による伝承が多い民族音楽の分野では、その国特有の言語による見事な口三味線が数多く存在するに違いない。
思えば、3連符は「WASEDA!」とか「BAKADA!」、2連符では「BAKA!」とか私は思わず心の中で叫んでいる時がある。例えば、バーンスタインの「ウエストサイド・ストーリー」で「アメリカ」という曲があるが、あのリズム「タタタ・タタタ・タカ・タカ・タカ」も「ワセダ・ワセダ〜」となる。(早稲田という言葉に関係ある皆様、決して他意はなく、単なる語呂合わせということをご承知おき願いたい。)
総じて全体にテンポがゆっくりの場合はあまり考えないていないが、テンポが速いと、5連符で2+3は「イケブクロ」「カンタロウ」、3+2は「アクタガワ」「メジロダイ」「カブキチョウ」。1拍目が速い3連符とかで「タタタターン」とか「タタタタン」のリズムは「ながじゅばーん」とか「ところてーん」、短いと「長襦袢!」「トコロテン!」、「タッター」は「マッチョー!」、「タータタッタッ」なら「ベーラマッチャ!」、衝撃的な一発リズムは、「ガーン!」とか「ガチョーン!」、これ以外にも、さまざまなシーンにおいて、心の中で諸々叫んでいることを告白する。そして、今度「テンヤテンヤ〜」もひとつの知識としてインプットされてきた。
きっと新響の団員も、それぞれ心の中でいろいろと思っているに違いない。一度全員で洗いざらい棚卸したら、語呂合わせで必ずしも言葉の抑揚とリズムの抑揚が一致しているとは思えない私なんかより、もっと面白くわかり易いリズムの数え方が膨大にあるはずだ。間違いない!
ところで現実的な話として、矢代秋雄の「交響曲」、2楽章はともかく、4楽章のAregro-energico以降が大変である。拍の変化もあり、後半著しく高潮していくが、とにかく体で覚えるしかない。こちらの方が「テンヤワンヤ」状態といえよう。頭で理解していても、声だけならともかく、楽器の演奏技術との融合が重要問題だ。2楽章は「テンヤテンヤ」系でなんとかなるとしても他はどうだろうか?ラベルの「ダフニスとクロエ」にも拍の変化が多い。奏者がそれぞれどのような思いで演奏しているのか、またその演奏を会場のお客様がどのように感じておられるのか、興味がつきない。
参考文献 「対談集 矢代秋雄 音楽の世界」音楽之友社