2005年9月維持会ニュースより
好きです!「新世界より」
日高美加(チェロ)
ドボルザークの作曲した交響曲は9曲。その中でも特に広く知られているのがこの第9番「新世界より」ですが、第2楽章があまりに親しまれているためか、作品の音楽的評価は「通俗的」「単純な構成」などと、返って矮小化されているように思われます。
でも、彼の交響曲を1番から辿ってみると、徐々に作曲技術が向上/洗練されているのがわかるでしょう。特に煩雑で不自然な転調、楽章間の唐突なつながり方などが課題といわれる1番〜6番ですが、時を重ねるにつれてめきめきと、作曲の腕を上げています。もちろんメロディーメーカーとしての才能は常に発揮され、9番にいたっては、あらゆる点で、集大成と言える交響曲が完成しているのです。
そう、だからこそ私達の心に、これだけ訴えかけ、広まり、残るのでしょう。さらに、演奏している端から、いつもワクワクしてきます!音型はシンプル、同様なパッセージの繰り返しも多い。覚えやすいメロディーと、ある意味「わかりきった」はずの曲なのですが、何度弾いても気持ちが高揚し、よくわからないけれど「生きる勇気」も湧いてきたりする。
また、この曲に愛着を感じるのは、個人的要因つまりチェロパートにとってとても好意的?だから。
その数ある具体例の、まず第一は、高音域(楽器の部分でいうと、奏者の腹部から足もとに向かってある弦を押さえて弾くところ)が少ないこと。これは個人的技術に起因すると言われればそれまでですが、アマチュアチェロ弾きの方からはかなりのご賛同が得られるはず。だいたいチェロの最も魅力的な温かい響きは、そんな大気圏外のようなところで弾いても・・・とブツブツ言いたくなる名曲が結構ある中、「新世界」は冒頭、主旋律、合いの手、どこをとっても、楽器が鳴りやすく、低音の逞しさも効果的に出せる音域なのです。(とは言うものの、今回の演奏は、果たして・・・?!)
第二に、民族音楽に起因したメロディー/リズムが多いこと。つまり民衆誰でも口ずさめる、のみこみやすい=複雑かつ超!機敏な反応は要求されない。(もちろん民族全体がもの凄く機敏だったりする場合もありますが)ということで、太くて長い弦を操らねばならない低音弦楽器には比較的ありがたいわけです。などと、やや情けない理由に聞こえますが、言い換えれば低音楽器の魅力を最も効率的/効果的に引き出してくれる曲なのです。
また、「新世界より」は、ドボルザークが晩年に故国ボヘミアを離れ、ニューヨークに移ってから書いた曲で、その独特な雰囲気の源泉は、アメリカインディアンの民族音楽や黒人音楽であり、それを用いて遥かなる故国(チェコ)への郷愁を表現していると言われています。そして、そのテーマが一旦、聴衆や奏者に届くと、其々の民族の心に、其々の「新世界」と、遠い過去の記憶が思い起こされるのです。この普遍性に、私達は日々感動しつつ、練習に励んでおります!
最後に、この原稿を書くにあたって、「個人的なエピソードも可」とお許しをいただいたので、ひとつだけ・・私がこの曲を演奏するのは今回で、2回目。その懐かしい1回目とは、昔むか〜しの北九州交響楽団でのこと。あの2楽章の終わり近く、コンマスとビオラとチェロの3人で弾く素敵な数小節。コンマスは、なんと都内某プロオケの現コンサートマスターが若かりし頃。畏れ多くも、本番前に、その彼を舞台袖裏で立たせたまま、何度も何度もソロ合わせをしていただき、「あのぉ、私、ホントに大丈夫?」「大丈夫ですよ」、「ホントーに??」「ほんとーに大丈夫ですよ」と無理やり言わせていた私。本番は緊張のためほとんど覚えていなくとも、温かい曲の響きだけは今も心に残っているのでした。