2006年3月維持会ニュースより
追悼・伊福部昭先生
団長 土田恭四郎
2月8日、作曲家・伊福部昭先生が91歳にて逝去されました。天寿を全うされたと言ってしまえばそれまでですが、寂しさと喪失感は否めません。神式で執り行われた2月13日のお通夜と14日の葬儀告別式は、飾らない誠実なお人柄を偲ぶにふさわしい小春日和にて多数の弔問客で溢れ、あらためて偉大さを実感致しました。
文化功労者にて、多数の純音楽・映画音楽を作曲、大著「管弦楽法」の刊行、東京音楽学校(東京藝術大学)や東京音楽大学の教壇に立ち多数の俊英を育て、日本の音楽界に多大なる影響と業績を残されました。孤高の作曲家、土俗的・民族的、日本からアイヌ・北アジアといった汎アジア的な壮大な色彩、原始的なエネルギーとスケールの大きい音楽、雄大で生命に溢れ躍動感に満ちた音楽、その個性はゆるぎないものとして誰にも真似のできないものでした。
新響は永年にわたり数多くの邦人作品に取り組んでいますが、新響にとりましては故・音楽監督の芥川也寸志先生の師であられ、芥川也寸志先生と伊福部昭先生の作品は、特別な存在と申し上げても過言ではありません。演奏会で取り上げた曲目やその回数が多いことはもちろんですが、特に「シンフォニア・タプカーラ」(1954年)は、新響が1980年に芥川先生の指揮で「日本の交響作品展4」として伊福部先生の個展を開催した時に改訂初演され、その後芥川先生や石井先生の薫陶により演奏を積み重ねて新響の血と肉となっております。「改訂版」がスタンダードとなってきたことは、新響にとりまして大切な財産となっております。
伊福部先生の曲を練習する際には必ず練習場にお見えになり、深々とお辞儀をされるのでいつも恐縮しておりました。いつも親しく団員とお話されるときのお姿、また芥川先生が指揮なさる時に垣間見える心温まるやりとり、これまた芥川先生のうれしくてしょうがない、といった表情、このような風景が思い出として残っております。
本年7月は、岩城宏之氏の指揮により伊福部先生の「日本組曲」を演奏します。これは、1933年という時代に、都会ではない北海道という場所で、わずか19才の北海道帝国大学の学生が全くの独学でほとんど何も使わずに事実上の処女作といえる「ピアノ組曲」(日本組曲)を作曲した、という事実に敬意を表したい、との岩城氏の強いご提案によるものです。はからずも追悼演奏となってしまいました。練習や会場で再び伊福部先生にお会いすることができないことが甚だ残念でなりません。
今、伊福部先生は、彼岸という雄大な心の大草原におられることと存じます。新響は、先生の遺された作品と業績に対し尊敬と敬愛申し上げ、伊福部先生の作品を演奏していくことで偉大なる業績を伝えていきたいと思います。謹んでご冥福を心よりお祈り申し上げます。