2006年3月維持会ニュースより
「アルプス交響曲」に関するウンチク
松井祐介(コントラバス)
「夜」の場面について
アルプス交響曲は「夜」の情景から始まる。弦楽器群が変ロ短調の自然短音階の全ての音を重ね混沌とした雰囲気を醸し出す。この場面でコントラバスが複雑な音形を演奏していることは2004年1月の演奏会プログラムに記載した。夜明けにだいぶ近づいたところでなにやらコントラバスの右側からバタバタという音が聞こえてくるのに気づいた。スコアを見てみるとなんとコントラファゴットが(弦の)コントラバスでも出せないような最低音域でバタバタ三連譜を吹いているのだ。グロッケンシュピールが一発鳴る一小節前からせわしなく動いているのである。ちなみに動き出す前までコントラファゴットは最低音であるB♭を延々と鳴らし続けている。これはオルガンのペダル音に似て効果的なのだが、これを吹いているコントラファゴット奏者の心理や肉体的な問題は弦楽器奏者の私には想像し得ないものである。
「バンダ」について
アルプス交響曲にはホルン12本、トランペット2本、トロンボーン2本の舞台裏バンダがあることで有名である。オペラ座付きの楽団なら物の数ではないだろうが、コンサートオケには人数的に厳しい要求である。バンダを専任の奏者とするとホルンは20本、トランペット6本、トロンボーン6本が必要になってしまうが、実はスコアには明記されてはいないがバンダの数は減らせるのだ。私の意見ではホルンは半分の10本、トランペットは4本、トロンボーンは6本のまま。ホルンの場合はまず舞台上で乗っている人数は4人。バンダが出るまで4人で演奏可能だ。「日の出」のテーマがホルンで吹かれる所は目立つのに8本ではなく実は4本なのだ。さらにバンダのホルンパートは3声で書かれており、上の声部から3本,3本,6本の指示だがこれを各声部2本ずつにする。バンダの重ねる本数の節約はワーグナーのオペラでも行われる常套手段である。そしてバンダの部分を演奏したら4人が舞台上のオケに合流する。座る椅子は既に準備しておかなければならないのは言うまでもない。トランペットの場合は「登山」に入ったら3・4番奏者はそそくさとステージ裏に回り、バンダを吹き終わったらステージに帰ってくる。都合のいいことにマーラー流に言えば「席をかわるための時間は充分にある」。一方ホルンの場合はこちらは戻るための時間はあまりないのですぐに舞台上に戻って吹かなければならない。この場合マーラー流に言えば「物音をたてずに自分の席にもどること」。トロンボーンはバンダの直後の「森に入る」ですぐに4本用いるために移動の時間がなく残念ながら掛け持ちはできない。スコアを注意深く見ればホルン重ねる数はともかく掛け持ちと移動に関しては以上のことは誰でも考えは付くだろう。もっとも今回の演奏ではバンダは舞台上で演奏するので上記の気苦労は不必要になってしまった。別の機会にアルプス交響曲を聴く機会があれば奏者の移動にも注目すると面白いかもしれない。
「ヘッケルフォン」について
この曲ではヘッケルフォンという珍しい楽器が使われる。巨大なイングリッシュホルンをファゴットと同じ赤色にし、さらにベルの先に支え棒を取り付けるという一度見たら忘れられない楽器である。しかし残念ながらこれが全くといっていいほど目立たない。唯一聞き取れる箇所は「霧が立ち上る」という場面の最初の箇所だが、ここですらファゴットが同じ音で重なっており聞き分けにくい。
ところでこの場面の直前は曲冒頭の「夜明け」にでてくるコラールのテーマが金管楽器のfffで演奏される。ここでトランペットはハイDが出てくるが、録音ならともかく実演では殆ど聴こえない。
このトランペットのハイDは「氷河にて」の箇所にも2回出てくる。ただでさえ外れるリスクは高いうえに、当てたとしても非力な奏者なら重なっているクラリネットの音量に負けてしまいそうである。
「サンダーマシーン」について
打楽器ではサンダーマシーン(独Donnermaschine)と呼ばれる鉄板が使われる。オーケストラでの使用例はこのアルプス交響曲しか知らないが、オペラや劇音楽では時折使われる。「雷雨と嵐、下山」のクライマックスでニ小節と一拍だけ鳴らされるが、ワーグナー最後のオペラ「パルジファル」の二幕でパルジファルが聖槍で十字を切りクリングゾルの魔法の城が崩壊する場面でやはりサンダーマシーンが二小節間だけ鳴らされる。ワーグナーの弟子フンパーディンクのオペラ「ヘンゼルとグレーテル」にもサンダーマシーンは使われ、お菓子の魔女のステップダンスの陰で鳴らされる。ちなみにこのオペラの初演指揮者は当のR.シュトラウスである。もっとも、音響設備が発達した現在ではサンダーマシーンの代わりに録音を使う事も多いようだ。良くない楽器や演奏者ではただの「鉄板の音」になってしまうからだ。なぜだか「ツウ」に受けの良くないこの「アルプス交響曲」だが、これだけ愉快なネタを提供し続けることだけでも存在価値は大きいとは言えないだろうか。