2006年6月維持会ニュースより
伊福部先生の思い出
岡本 明(ヴィオラ)
伊福部先生は北海道のご出身ですが、ご先祖は鳥取県です。先生の曲をやらせていただいたとき、プログラムに書くためにお伺いしたところ、「先祖は鳥取県の神社の禰宜だった」というようなお話をされた記憶があります。お父上は北海道のどこかの村長さん、一番上のお兄様は北大工学部の土木工学の教授で、一方では「アイヌの熊祭り」を著すなどアイヌ文化への造詣も深い方だったそうです(その息子さん、つまり伊福部先生の甥御さんにあたられる方に、日本の福祉工学の第一人者で、東大教授の伊福部達さんという方がおられ、私も親しくさせていただいています)。次兄の伊福部勲さんは早世されておられます。伊福部先生の名曲「交響譚詩」の第2楽章は、この亡くなられたお兄様の追悼として書かれたものです。伊福部先生は亡くなられたお兄様のことはあまりお話になりませんでしたが、あるときぽつりと「兄はギターが上手くてね。」とおっしゃったのを覚えています。芥川先生から「お兄さんだったか、弟さんだったか確認して欲しい。」といわれて伊福部先生に伺ったときの話です。
さて、伊福部先生の曲は、新響が芥川先生の指揮で何度も演奏させていただいていますが、その練習にもよくおいでいただきました。いつもスーツに蝶ネクタイで、背を丸めて入ってこられました。私たちはそのときの次のようなやり取りを忘れられません。
芥川先生「ここのところの弾き方、これでいいですか。」
伊福部先生「はあ、大変結構でございます。」
芥川先生「もう少し大きい方がいいかな、と思うんですが。」
伊福部先生「いや、皆さんがおやりになりたいように。」
芥川先生「でも、作曲者として何かおっしゃってくださいよ。」
伊福部先生「はあ、どうぞお好きなように。」
その後に「それが指揮芸術というものですから。」という一言が続いたと覚えている人もいます。弟子の芥川先生にも、子供のような年齢の私たちにも、にこにこと一言一言、丁寧な言葉でお話になる先生でした。