第145回演奏会(94年10月)プログラムより


伊福部 昭:シンフォニア・タプカーラ(1979年改訂版)

上原 誠(打楽器)

“シンフォニア・タプカーラ”あるいは“タプカーラ交響曲”は伊福部昭の作曲活動の集大成である、と私は考えている。その理由として、まずこの曲が三浦洋史(現・評論家)に捧げられていることに注目したい。1926年、札幌二中に入学した伊福部が出会った同級生・三浦は、その頃既に抜きん出た音楽通だった。サティー、ドビュッシーといった当時の日本では名前すら知られていなかった音楽を次々に紹介し、西洋青楽に目覚めたばかりの伊福部に“超”カルチャー・ショックを与えただけではなく、「音楽をやる以上は作曲以外は無意味」と説いた。伊福部が後に語っている「私を作曲という地獄界に陥れたメフィストフェレス」、すなわち作曲家・伊福部昭にとってかけがえのない人に宛ててこの曲は捧げられている。

[伊福部にとって交響曲とは]
作曲に手を染めた伊福部にとって最初に広く評価を得た作品は、前回の当団演奏会でとりあげた『日本組曲』の元曲『ピアノ組曲』だった。この曲の4部構成は、交響曲の形式を意識したものとみる事ができる。また伊福部にとって唯一の作曲の師であったアレクサンドル・チェレプニンにひと月ほど個人教授を受けた際、交響曲を作曲するにはまだ技倆不足とクギを刺されたのは、交響曲作曲の希望を口にしたからではないか。実際、チェレプニンの教えの、いわば成果として作曲された『交響譚詩』の第1部はソナタ形式がとられ、交響曲への意欲を伺わせている。すなわち伊福部は、かなり早いうちから交響曲に対する憧れの気持ちを抱き続けていたに違いない。『ピアノ組曲』から21年、名著「管弦楽法」の923ぺ一ジにおよぶ第1巻とほぼ時を同じくして、いわば満を持しての「交響曲」というタイトルを持つ作品の発表であった。

[タプカーラの意味するもの]
私は国立劇場でのアイヌの民族芸能公演で、この“タプカーラ”という踊りを見たことがある。幣冠をつけ、太刀を帯ぴた長老がしっかりと足を踏みしめ、憑かれたように無心に舞う様は力強く、また荘重だった。この「タプカーラ」の意味である「足を踏みしめる」動作は、悪霊を追払い良霊を招くというもの。同じ意味を持つ陰陽道(おんようどう)における「反閇(へんぱい)」や、あるいは修験道(しゅげんどう)の足踏みの所作など、日本の古い信仰に根ざした動作が各地の民族芸能や宗教儀式に今も多数見られる。かつて見た岩手県早池峰(はやちね)山麓大償(おおつぐない)の山伏神楽にも似た動作があり、身近なところでは相僕の四股(しこ)もこれにあたると言われている。伊福部はこの動作に自然の恵みのみによって生きていた古人(いにしえびと)たちに共通する、大地への感謝と畏敬の気持ちを感じ取ったのではないだろうか。
これをさらに「大地礼讃」という言葉に結ぴつけるのは決して強引なこじつけではない。ご承知の通りこれはストラヴィンスキーの『春の祭典』の第1部のタイトルだが、この『春の祭典』こそ、10台半ばの伊福部が西洋音楽に親しみながらも、今ひとつ違和感を抱き、徒らに西洋の美学を追従することに疑問を感じていた頃、初めて出会った自分の感覚に適う音楽だった。そして自らの言葉で語る音楽を作ることに意欲を燃やし、本格的に作曲の勉強にとりかかった。しかしストラヴィンスキーとの結びつきはこれに止まらず、前述のチェレプニンの父親、ニコライ・チェレプニンに遡る。彼はペテルプルク音楽院でリムスキー=コルサコフに学んだ作曲家・指揮者で、リャードフらと共に「新ロシア楽派」を称して「五人組」の後継者を自認し、未だ西洋文化偏重の強かったロシアで民族主義の旗を掲げていた。やがてディアギレフに起用され、1909年のロシア・バレエ団のパリ・デビュー公演を指揮するとともに作品を提供し、引続き1914年まで指揮者・作曲家・編曲者として参画した。その間、彼の流れを継ぐストラヴィンスキーがかの3部作を発表し、当時の文化の中心地だったパリに次々と衝撃を与えていく現場を目のあたりにし、我が意を得たりと喜ぴ、息子にも繰返し語ったに違いない。志を継いだ息子は来日の折、日本の若い作曲家に向けて「自らの文化に思実であれ」と説き、日本の国民音楽の確立に工一ルを贈った。そして伊福部21歳の時の作品『日本狂詩曲』にその実現を見出し、創作活動の根本理念をも、殊のほか熱心に伝授した。
こうして伊福部は若い頃芽生えた疑問から発し、やがて「芸術は、その民族の特殊性を通って共通の人間性に到達しなければならない」という確固とした信念に至った。
伊福部は幼い頃、北海道の僻地で先住アイヌ民族の生活・文化に深く関わり、民族間の差異に衝撃を受けながらも彼等の逞しさに大きな感動を覚えた。作曲者はこの曲を語る際「ノスタルヂア」という言葉を使っているが、彼の個々の作品を見つめる厳しい目と独特のシャイな気持ちがそうざせたにせよ、私にはふさわしい言葉とは思えない。この曲はタプカーラという民族性を通して大地礼讃という共通の人間性を高らかに歌いあげたもの、すなわち伊福部の信念そのものの表れであると私は確信している。
地球環境を危うくするさまざまな問題が発生し、世界の人々が手を携えて取り組んでゆこうという機運が高まり始めた今日、大地=地球に対する感謝と畏敬の気持ちをあらためて思い起こし、共通の人間性に高めてゆくことこそ、このかけがえのない地球を子や孫たちに残すための、最も力強い原動力となろう。今、伊福部の送るメッセージの意味は大きい。

この曲の初稿は1954年に完成したが後に改訂を施し1979年12月に脱稿した。作者によれば主たる改訂は、1楽章の冒頭、2楽章の中間部、3楽章の結尾部に行われたという。改訂版の初演は1980年4月6日、芥川也寸志指揮により、当団第87回演奏会「日本の交響作品展-4 伊福部昭」で行われた。

初演:上記参照

楽器編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トムトム3、小太鼓、キューバン・ティンバレス、ギロ、弦楽5部


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