第157回演奏会(1997年4月)パンフレットより
飯守先生をお迎えするのは今回で4度目になりますが、ブルックナーは「ロマンティック」、第8番に続いて今回の7番で3曲目、一方の武満作品は、新響にとって初挑戦ともいえるものです。ある意味で対照的といえるかもしれないこの2人の作曲家について、先生のお考えをうかがってみました。
---本日は素晴らしい練習をありがとうございました。早速ブルックナーからうかがうことにしましょう。ブルックナーの音楽には、彼が大きく影響を受げたワーグナーとも、また同じように交響曲を作曲したベート−ヴェンやブラームスとも違う独自性(ユニークさ)があると思いますがいかがでしょう。
飯守 その通りです。ブルックナーは後期ロマン派ですが、音楽史の流れはロマン派以降大きく変わりました。いわゆる純粋音楽というのは、古典派の時代に確立されたのですが、ロマン派になると表現の手段がどんどん饒舌になり、純粋音楽の枠を越えてしまって、標題音楽、劇音楽、あるいは国民楽派などの方向へ行ことになります。そこでプルックナーですけれども、彼はいわゆる純粋音楽・絶対音楽という、本当の意味での内面の音楽として交響曲を書いた最後の人ではないかと私は考えています。
---ブルックナーはワーグナーに曲を捧げたりして、大きな影響を受けているようですが、ブルックナーとワーグナーにはどんな共通点があるのでしょうか。
飯守 絶対音楽のプルックナーに対して、劇音楽のワーグナー。書いた音楽の内容はまったく異なりますが、非常に似た部分もあります。まずは楽器の使い方、そしてハーモニー。調性の発展のしかたもワーグナー的で、官能的ともいえるほどです。ただ人間的な性格という点ではまるで違っていましたね。彼は大変に素朴で宗教的な人間でした。最近、反対意見も出ているようですが、音楽で聴く限りの彼は、心の底から神を信じた人だと思います。
---ところで、ブルックナーの音楽にはオルガン音楽からの影響がしばしば指摘されていますが。
飯守 音の性格、響き、色合いといった点ですね。それから、巨大な建築を思わせるはどスケールの大きい、音楽の作り方。彼はオルガニストでしたから、オルガンの重厚さを必然的にオーケストラにも求めた。それトウッティ(全合奏)の派手で非常に輝かしい音にはっきりと感じられます。オルガンはもちろん1つの楽器ですが、オーケストラにはさまざまな楽器があり、それらの各グループが調和し、音色の違うものが全体に溶け合って輝くことでオルガン的な重厚さを表すという点が、特徴的なところです。それと、音だけではなく、オルガンという楽器が持っている宗教的な性格も強く感じます。
---ブルックナーには11曲もの交響曲がありますが、ベートーヴェンやブラームスのようにひとつひとつの曲の個性の違いが明確に感じられないような気もしますが。
飯守 音型とフレーズに関しての表現の手段という意味では、たしかに単純な面があります。彼の顔写真を見てもわかりますね(笑)。他のバリバリの作曲家と比べて、一番不器用だったという気もします。しかし、彼は一方で大変な努力家だった。作曲家であれば誰でも勉強するのは当然ですが、彼の場合は、対位法や和声法などの勉強のための原稿が、グランドピアノの高さまで積み上げられていたという逸話もあります。彼には天才らしい派手さ・器用さはまったくありません。彼はひたすらに勉強し、何か凄い内面を作り上げていったのです。
ちょっと話がとぴますが、今も指摘した通り彼は大変な苦労を重ねて作品を作り上げた。しかしその作品の仕上がりに関して、絶対的な自信を持っていなかったように思えることがあります。彼の曲を演奏するときは、指揮者としてハタと考えこむことがあります。もう少しこうした方がいいんじやないか?ここはこのテンポにしないともたないんじゃないか?というふうに。実際の演奏においても、使用する楽譜の版による違いもありますが、それ以上に演奏者によってかなり違ってきてしまいますね。
もちろん疑問の余地のない完壁な楽章も多いのですが、問題を残している一番よい例はこの第7番の第4楽章のテンポ設定です。私もやるたぴに違います。どうしてもどこか納得がいかない部分がある。ノヴァーク版にテンポの指定が数多く書いてあるのは、友人たちに変えた方がいいんじやないか、と言われて、プルックナーが「そうか」とその助言を簡単に受け入れてしまったからです。7番では他にも、第2楽章のクライマックスにシンパルとティンパニとトライアングルを入れたら、と言われたという話もありますね。でも今日練習していて、あのドーンとハ長調になった瞬間に「シャーン!」では、やはり本当のブルックナーの音楽ではないと思いました。たとえ聴く側は喜ぶとしても。こうしたことを、彼自身が最終的に決断できなかった。このように彼は素朴で単純なところもある人で、一生懸命作っても、友人や専門家に何か言われると考え直してしまうようなかわいらしい所があったのですね。普通、作曲家というのは一度曲を書き上げてしまったら非常に頑固で強情なのですけれど。彼のそういうナイーヴな部分が曲に現れているともいえますね。
---彼の人格のかわいらしい部分と、彼の音楽の無限の大きさとは一見矛盾するような気もしますが。
飯守 そうですね。一見矛盾するような気がすることはもうひとつあります。彼の深い宗教性と、うっとりするほどの官能性です。普通は宗教性と官能性というのは相反するものですが、彼の場合にはそれが同居している。具体的には、彼の調性の発展のしかたや半音の使い方が官能性を感じさせるのですが、これはやはりワーグナーの影響によるものです。しかし、非常な崇高さ、深さ、偉大さが彼の音楽に感じられるということ。これが何よりも大事です。それは先に触れた通り、宗教性です。やはり、宗教を通じて心に得たものがあるのです。これを啓示というと言い過ぎかもしれませんが、彼には敬虔な気持ちは強くあったと私は思います。第9番のアダージョにも現れている深み、あるいは高みはまさに圧倒的です。このような矛盾を含んでいて、しかもそれらが一体となっていることが彼の特徴です。
---それにしても、なぜ彼はあれほど巨大な交響曲を次々に作曲し続けたのでしょう。
飯守 彼は、昔からのヨーロッパの教会音楽をオルガンで弾きながら自分の内面をずっと深く見つめ続けてきたのでしょう。その結果として、エリート意識ではなく、純粋に自分のために作曲し続け、あのような交響曲が次々生まれた。周囲から何と評価されようとも、とにかく彼としては作曲せざるを得なかったのです。
---よくわかりました。それでは次にブルッグナーを演奏する上でのアドヴァイスをいただけませんでしょうか。
飯守 むずかしい質問です。まず、ハーモニーと調性が変わっていくのをよく感じながら響きをつくることです。ブルックナーの音楽はどこかでカテドラルの響きに通じています。そういう響きを作りたい。弦・木管・金管・ティンパニというセクションが各々の楽器の個性を鮮やかに出しながら、しかもバランスよくハーモニーが響き合うようにすることが大切です。他の作曲家ですと、フレーズを作ることが一番大事ですが、ブルックナーの場合は、極端にいえば少し退屈でも素晴らしい響きがしていれば、それなりに存在価値があると思えることがありませんか(笑)。それから、巨大な建築としての全体を作り上げること。これが至難の技ですね。
そして色彩です。先ほどオルガンの話が出ましたね。プルックナーの音は結構鮮やかでありながら、時にはいぶし銀のような場合もあるし、柔らかい音が必要な場合もあります。その色彩は、調性によっても大きく違ってきます。ハ長調なら輝き、誕生、喜ぴ、勝利。ホ長調は愛の喜ぴを表す調です。これら長調に対するそれぞれの短調にはネガティヴな意味があります。ですから、ホ短調では愛を失ったことになるわけですね。もちろん、こうしたことを正確に100%理論づけることは不可能に近いのですが、調性には必ず固有のイメージがあるということは意識してほしいのです。特に第7番のホ長調や、嬰へ長調や嬰八長調は響きをうまく出しにくい調性です。しかし私はその「色」にこだわりたい。
---ブルックナーは転調が多くて、今、どの調性の中にいるのかつかみにくい時がありますが、常に調性とハーモニーの感覚を持ちながら演奏することが大切なのですね。
飯守 その通りです。そうすると、どんどん音が澄んできれいになってくるのです。きれいに、純粋に響かせるにはいろいろな要素があります。まず純正調の音程。平均律でどんなに正確にやっても本当にはハモらない。ぞーっと鳥肌が立つほど美しいハーモニーを出すには、純正調で感じていなければなりません。そして、自分が和音の中のどの音を弾いているかを理解していることが必要です。もうひとつの要素としては、先ほども言いましたが完壁なバランス。そして最後は、管はもちろん弦も、個人個人が最高に魅力のある音を出すことです。今日の練習では、乾燥した音、弾きすぎてしまっている音が時々ありましたね。
---それでは最後に、先生が新響で積極的にブルックナーを取り上げる理由をおきかせ願えますか。
飯守 私が一方的にプルックナーを選んだわけではありません(笑)。お互いにプルックナーならよいものができるのではということになったのです。
---ブラームスなども出ますけれど、結局ブルックナーに落ち着いてしまいますね。
飯守 それは私のせいかな(笑)。もちろんプラームスもやりたいですよ。ただ、新響というとやはり何か息の長い、とてつもなく大きく深いものができるという気がするんですよ。多くのメンバーがいて皆が団結していて・…・後期ロマン派はとても合っていると思います。
---ブルックナーについての話は尽きませんが、この辺で武満さんの方へ移りましょう。ブルックナーと組み合わせる曲として、先生が武満作品を推されたとおききしたときは、ちょっと意外な印象を受けましたが、武満さんを新響で取り上げようとしたのはなぜでしょうか。
飯守 はじめはモーツァルトという話もありました。この組み合せは無難ですね。しかし、新響は今までかなり邦人作品を取り上げていますが、私自身はまだそういうおつきあいをしていません。そこで、新鮮でしかもコンビネーションのよい組合せにしたいと考えたのです。昨年武満さんが亡くなりましたが、私にも彼への思いが常にありました。現代音楽は今、聴衆から遊離してしまっているという大変なジレンマに陥っています。現代音楽では、斬新な手法、民族的な素材、その他さまざまな試みがなされています。誰もが強烈に個性や手法を打ち出して、何とか自分の独自性をかち取ろうとしている時に、一番成功している武満さんはむしろ普通な書き方をしている。彼の音楽はまさに現代の最前線にあるけれども、その最前線の手法には縛られず、書きたいことをすべて自分の中から自由に書いている、珍しい人です。純粋に内面で勝負していることが素晴らしい。私はそれに大変魅かれていて、プルックナーとなら武満さんがよいと考えました。
---武満さんの作品は、先生の活躍していらっしゃるヨーロッパではどのように受け止められているのでしょう。
飯守 よく言われている通り、日本国内よりも世界から認められている作曲家です。楽譜も、フランスやドイツでも出版されています。武満さんが認められる理由はいろいろあると思います。自分の感じたことや個性を売り込もうというようなエゴイズムとは、無縁の態度が一貫している。彼が勝負している内面とは、彼個人の信仰や内面という意味ではなく、彼が自分を通して見つめた宇宙、自然、歴史をさします。彼の曲にはロマンティックな弦も出てくるけれども、西洋においても西洋の従来の音楽とは違う、と受け止められています。甘過ぎる、少し古臭いといって嫌う人もいますが、彼はいっこうに構わず自分を通して自然を書き、自分の出自を通して何かを凝視し耳を傾ける、という態度なのです。「ノヴェンバー・ステップス」での尺八や琵琶のように独奏楽器も大切にはするけれども、便用している全部の楽器がそれぞれ派手に、弾いていて面白く、といったコンチェルト的な要素には彼は深入りしない。むしろ、ただ自分を通して自然・宇宙といったものを発信するためだけに、謙虚に楽器を使うのです。
---武満さんにはかなりの数の著作がありますが。
飯守 武満さんは大変に文才が立つ。私は文才が立つ作曲家というのは基本的には信用しないのですが(笑)、武満さんだけは例外ですね。彼は自分の音楽の紹介のためではなく「自分がこう考えたからこの曲が生まれた」ということを、実に的確なことばで書くのです。彼のことばは、とても根源的で創造的な言葉です。彼の創作スタイルは、まず自分の内面にひとつの衝動があって、それがかなりのレベルになって昇華され、次に凝縮された言葉になり、そして音に変わって音楽になる、というものです。
---武満さんは自分が日本人であることをどう考えていたと思われますか。
飯守 彼は日本人であることも実に自然に受け入れています。彼は、西洋音楽で勉強を始めたから当然、自分の中に運命的に西洋音楽があるけれども、血はやはり日本人だから、どうしても日本にいないと作曲できない、と言っています。普通作曲家はどうしても勉強に行った国から強い影響を受けますが、彼はどこにいても自由であると同時に、心の中にどこかしら日本的・東洋的・哲学的、そして美学的な何かを確固として持っています。しかし彼は、日本人、東洋人であるということをことさらに強調しない、ありのままの現代人です。実際、言語も国際的で、英語の魅力をうまく生かしているし、曲の題名のつけ方も実にうまいですね。ごく自然な現代人として、自分の中にあるものに対して耳を傾けるというのが、創作に対する彼の態度なのです。
---ということは、武満さんの作品は、必ずしも日本的な部分で評価されているのではない、ということになりますか。
飯守 そうです。彼の音楽は、何か特別な個性を世界各国の人に感じさせるのでしょう。「弦楽のためのレクイエム」を聴いたストラヴィンスキーが「こんな小さな男からこんなintenseな音楽が生まれるとは」と言って彼は一躍有名になりましたが、このintenseという単語には、激しい、強い、あるいは強烈な、という意味があります。静かだけれども、きわめて的確な音楽表現といえるでしょう。
---しかし、彼の音楽には日本的な部分もあるのではないでしょうか。
飯守 今の日本では「日本的」という言葉がすっかりわかりづらくなっていますが、この現在の状況そのものが、むしろ武満さんのひとつの個性になっているのではないでしょうか。これは彼自身の言葉か、それとも誰かの引用だったか、「ふと気がつくと私は流れの中の三角洲の上に立って、測り知れない海の拡がりを前に唯一の声を聴こうとしていた」というのがあった。三角洲、つまり3つの傾向です。それは西洋、東洋、そして日本ですね。彼はピアノと五線譜を使って勉強したということを率直に言います。人によってはそれさえ否定する場合もありますが。西洋音楽では、記譜法というものによりひとつひとつの音にはそれほどの価値を与えないから、扱いやすくて私は作曲しやすい、と彼は言います。ごく自然に西洋を受け入れているのでしょう。次に東洋について彼は「自分は東洋人であるから音楽の感じ方がどうしても東洋的で、まず沈黙を探す。沈黙があっての音楽で、そこから苦労してひとつの音をつくり出したい、そしてその音は沈黙と測りあえるほどの重みを持っていなければならない」というような物凄いことを言っていますが、この態度は日本人というよりは、ひとつの音に魂を込める東洋人のものですね。そして、最後に日本。日本人は歴史的にいろいろなものを採り入れ、それを混ぜて同化して行く民族で、今はいい加減なことをしているようでも、これからの21世紀ではむしろ世界の方がそういうふうに多様性のある価値観を持つようになってくると私は思っています。武満さんはそれを先取りしている点でも、世界から認められているのだと思います。
---先ほど、武満さんは、根源的で創造的な言葉に昇華させてから作曲するというお話がありましたが.....。
飯守 言葉と、それから「数」もあります。今回のこの曲でも「5」というのが基礎にありますが、彼の「数」は、現代音楽が数によって新しい音楽を切り開こうとしたのとは少し違います。彼は「音程、記譜法、転調や移調など西洋音楽自体がすでに数に縛られているのに、それをさらに縛るのは行き過ぎだ」と言っていますね。彼自身は、もっと神秘的な数の使い方をしていると私は思います。
---新響は邦人作品をかなり取り上げてきましたが、武満さんの曲はほとんど演奏したことがないといってもよいと思います。そこで私たちもCDを聴いたりして勉強しているのですが、「彼の曲はどうもよくわからない」という声があります。
飯守 その気持ちはわかります。他の日本人作曲家の方がずっとわかりやすいですからね。彼の音楽は基本的には抽象音楽で、常に彼の感覚を通して捉えられた世界です。ひとつひとつの楽器にとって弾きやすくて特徴を出せる曲ではないですし。
---この曲はわずか12分ほどの長さですが、聴いてもなかなか覚えられなくて....。
飯守 名曲というのは、やはり一度聴いたら忘れられない、そういった意味では覚えられるものですね。武満作品は覚えられないですか?彼の作品は、ソナタ形式やロンド形式等々のような機能的・理論的な楽しみとは違い、もっと感覚的な音楽です。
---すると、もっと感性を磨くことが必要ということになりましょうか(一同笑)。彼の作品を演奏するときは、今日の練習で先生がおっしやったように、響きというものが重要なのでしょうか。
飯守 練習でもふれましたが、武満さんの曲は全部の音がいつも混ざりあっていて、どこかのパートが極端に前面に出るというようなことは少ないですね。今回の曲で目立つ所といえばオーポエのソロくらいで、ある楽器のグループが徹底的に何かをやらかす、というのはない。彼は常に、世界全体、自然全体、宇宙全体を扱っている人だと思います。だから、色はすべてブレンドされ原色や民族的な色などは少ないのです。楽器が全部混ざりあいブレンドした響きがきわめて重要です。
---ブルックナーの場合のハーモニーのブレンドとは違いますね。
飯守 そう。プルックナーでは各楽器が思い切り特徴を出しますが、武満作品ではみんなが何かを受け持っているような、何も受け持っていないような....(笑)。
---そのことはわかるような気がしますが、それではなぜ、オーケストラの各々の楽器が武満さんの音楽において必要なのでしょう。極端にいえば、なぜシンセサイザーなどを使わなかったのでしょうか。
飯守 ブレンドという言葉をやや強調し過ぎたかもしれません。確かに多くの楽器がバランス良く一つの響きに混ざりあうことは不可欠ですが、そこから出発して音楽の色彩と陰影が変化していくことが大切です。もう一つ大事なのは彼独特の音楽の「動き」です。それはテンポという言葉では言い表すことのできない心の動きの表現です。彼の音楽は、ほとんどの場合、かなりゆっくりと、そして微妙に神秘的な響きが動いて行く。時には猛烈なコントラストや咆哮が起きますが、この劇性も、私としては彼個人からではなく彼の内的集中を通して自然、宇宙的時空間から彼が聴きとった、と受け取っています。そして、すべてが必ず静寂に戻る。よく言われる「タケミツ・トーン」とは、このようなことを意味しているのではないかと私は感じています。そしてこのサウンドは決してシンセサイザーのような電子楽器で再現できるものではありません。
---よくわかる気がします。武満さんの作品はプロのオーケストラでも頻繁に取り上げられますが、オーケストラのプレーヤーの不満はないのでしょうか。
飯守 もう少し、楽器の個性を出したい、という意味でいくらかあるかもしれませんね。武満さんが言っていたことですが、日本で仕事する時と欧米で仕事する時とでは、楽員の態度がかなり違うそうです。日本では作品を受け容れてきちんとやってくれるが、欧米では、ある楽員が話しかけてきて「武満さん、私はあなたの曲が嫌いだ。こんなのはオーボエでは吹けないしオーボエらしくない」と。すると武満さんはその言葉にも耳を傾けて参考にするし、「欧米では皆そういうことをはっきり言ってくれて実に手応えがある。といって別に喧曄するわけではなくていざ演奏するとなると一生懸命練習して理解しようとする。嫌な曲といいながらも大変に一生懸命である」と言っています。日本の場合は、皆きちんとした態度ではあるけれど、合わせておしまいみたいな所がある、と。
---大切なポイントですね。先ほどの欧米のオーケストラのように、武満さん自身が私たちの演奏を創っていく場にいらして議論できればよいのに、と思います。
飯守 本当に亡くなられるのが早すぎましたね。でも、練習をしていくうちに、皆さんきっと感じるようになってくる、と私は思います。
---そうですね。お話をうかがって、ブルックナーはもちろん、武満さんの作品を先生の指揮で取り上げることができるのは、新響にとって大変な幸福であると感じました。
飯守 これは責任重大ですね(笑)。
---本日は、お忙しい中をありがとうございました。
(構成・まとめ 吉川具美、長島良夫)
※新響の自主演奏会としては、第148回演奏会「映画誕生100年」(1995年7月16日)において、映画音楽「弦楽のための〈ホゼイ・トレス〉」を演奏したことがあるのみです。また、1971年には、合唱団「鯨」の演奏会で、「弦楽のためのレクイエム」を取り上げています。