第161回演奏会(1998年1月)プログラムより
渡邉康雄(指揮者)
写真ではあたかも巨人のように大きく見えるシベリウスは、実は割と小柄な人であったようで、フィンランド人指揮者のオッコ・カム氏が少し似ているらしい。自分の写真は、晩年には自分の目線よりちょっと低めからしか絶対に撮らせなかったとのこと。
ベルリンに留学し、フェルッチョ・ブゾーニと親友となった純ドイツ式の勉強体系から、帰国後には自分自身に取ってはるかに奥深い「フィンランド魂」を追求し、ロシアからの独立運動の激しき時に、熱き心で書き上げられた最高傑作とされるこの交響曲第2番は、情熱の塊であるのと同時に、楽譜に多くの書き間違いが存在する。若き熱血漢シベリウスが、多くの芸術家達と独立に関する大議論を丸三日三晩も不眠不休で続けたという証言もあり、お酒にも滅法強かった。トゥルク市にあるシベリウス博物館の地下室に安置されている直筆の交響曲第2番と第6番のスコアは、比べてみると筆跡が非常に違う。お酒と議論で身を滅ぼしてはならないと、馬車で数時間もかかる郊外のヤルヴェンバーに引っ越してから書かれた第6番は、とても丁寧に音符が書き込まれているのに、第2番は非常に荒々しい。どこかで火事に遭遇したのか五線紙には焼け焦げの跡までがあり、修理までほどこされている。いかに激しい行動の最中に作曲されたか、実は注意深く見るとブライトコップフの市販されている楽譜からも非常によく伝わってくる。力強く書き過ぎたアクセントがディミニュエンドに見え、力余って害いたスラーが隣の音にまでかかってしまい、線で書く長いクレッシェンドとディミニュエンドが、まったく同じ旋律を奏でる2つの異なる楽器群にそれぞれまったく逆に書かれてまでいるのだ。当初は出版社が酷い仕事をしたと考えられていたこれらの何百と存在する間違いが、実はシベリウス自身の手によるものであり、出版社は実は非常に丁寧に作曲者の直筆を正確に印刷したのであった。なんと使用された五線紙が日本製の紙であったという、その書きかけのスコアの束を小脇にかかえ、カフェ、知人の家、酒場等を行き来しつつ、独立運動への熱弁をふるいながら、火のように燃え上がる情熱を書き綴ったシベリウスの姿が見えるようではないか。
ベートーヴェン「第九」第1楽章冒頭の、第2バイオリンとチェロのピアニッシモでの6連音符の「きざみ」は、旋律の音の伴奏形にもかかわらず、16小節間まったくその「きざみ」の速さは変わることなく続き、これが一つの強い生命線として音楽を構築し、楽章全体を支配していく。
シベリウスの場合にも、これに匹敵、あるいは、これ以上にはるかに長い8分音符、または16分音符の羅列が多く存在するが、建築物の柱としての役目とはまったく意味の違う、極寒の広大なる北国を舞う「風」として描かれている。どこでその独特の「揺らぎ」が来るのか、どこから始まってどこに吹いていくのか、その空気の動きを目で確かめることはまったくできない。第1楽章冒頭では穏やかにやさしく、第2楽章中間部では激しい殺伐とした吹雪のように、シベリウスの描く風は常に千変万化していく。その、憂いをたたえ、はかなさをも想わせるような誠に美しい和声から、強い情念を伝える大きな歌が沸き上がって来る。美事に描かれた第4楽章フィナーレの、最後の強烈な最強音による壮大な感動の渦は、当時の独立を悲願するフィンランド全国民の感情と一体化して、さぞや力強く鼓舞し勇気づけたことと拝察する次第である。
フィンランド人であった私の祖母の妹が、部屋のすみに置いてあった古ぼけたチャチな音のするラジオから漏れてきた「フィンランディア」に一瞬涙が流れたという。その実に美しくも尊い愛国精神を心からたたえるような、感動的な演奏をしたいと念願している。