第164回演奏会(1999年1月)
飯守先生とのインタヴューも、5回目を数えることになりました。今回は、本日取り上げる3人の肖像を中心にお聞きすることにしています。
---本日はお忙しいところをありがとうございます。まずはブラームスから始めたいと思います。この第3番はいくつか特徴をあげることができますね。全部の楽章が静かに終わることや、第3楽章がベートーヴェン的なスケルツォではなくて、歌謡的なアレグレットになっていることなどです。幸福な時期に短期間に書かれたような印象を持ちますが、いかがでしょう。
飯守 この曲が作曲された場所は、ヴィースバーデンだという説とイシュルだという説とがあるようですが、どちらにせよ風光明媚な土地で、短期間のうちに作曲されています。ヴィースバーデンではへルミーネ、シュピースという若い女性と親しくしていて、ブラームスの生活はおそらく心穏やかな日々だったのでしょう。彼の故郷ハンブルクあたりでは、2人は結婚するのではないかと取り沙汰されるほどだったけれども、結局は結婚には至らなかったわけですが。もっと若い頃のブラームスにアガーテという恋人がいたことも知られていますが、この相手に「自分は縛られたくはないけれども、それでもよかったら結婚してほしい」というような虫のいい手紙を書いて破局を招いていますね。彼は、恋愛に限らず日常生活でも優柔不断で、なかなか自分で物事を決められなかった人のようです。あんなに堂々とした音楽を書く人が、と思うとちょっと不思議です。
少し話がそれましたが、3番が作曲された時期はちょうど普仏戦争(1870〜1871年)後の平和な時代にあたっているということも影響しているかもしれません。彼はとても愛国心のある人で、フランスに対するプロイセンの勝利によってもたらされた平和を心から喜んでいたのです。いずれにせよ、ブラームスはこの曲を作曲するにあたって平和ということをかなり考えていたのではないかと思います。
---3番が発表された当時はどのように迎えられたのでしょうか。
飯守 この当時は、みなさんもご存知の通りワーグナー派とそれに反対する勢力がしのぎを削っていた時代です。この交響曲はワーグナー派からは「創造力が枯掲した曲」などと酷評を受けたりもしましたが、一般には好評で間もなく大きな成功を収めました。ブラームスは古典の音楽を徹底的に研究した人で、常に古典的な様式を重視した作曲をしていますね。「いつも後ろを向いていた作曲家」といわれるのはその通りです。この姿勢は明らかに、当時の大きな流れであったワーグナーに代表されるロマン的な劇音楽の線上とは違うところにあります。
---その頃の、ワーグナー派とブラームスを含むアンチ・ワーグナー派との争いはかなり熾烈だったようですね。
飯守 考えてみれば、ワーグナーもブラームスも2人とも天才なのに、その2人を取り巻く周囲がそれぞれ相手が悪いと騒ぎ立てたのですから、おかしな話です。しかし、ヨーロッパではこのようにぶつかりあって才能が育っていくような面があります。日本ではなかなかそうはいかない...。
---ワーグナーとブラームスは、お互いに相手の音楽をどのように見ていたのでしょう。
飯守 ワーグナーはブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」を聴いて感心しています。一方のブラームスもワーグナーの音楽を正しく評価しています。たた「白分は別の道を歩む」と宣言しているだけなのです。大天才というものは、たとえまったく違ったタイプの芸術家であっても、互いにわかりあえるということですね。
---ブラームスには4つの交響曲がありますが、その中で3番が持つ特徴にはどんなことがあるのでしょうか。
飯守 ブラームスを援助し、世の中に積極的に紹介していった人の中に、指揮者のハンス・フォン・ビューローがいます。彼の功績はずいぶん大きいのですが、その彼が個人的に好きだったのが、この3番だったそうです。私も3番の魅力は特別だと思います。この曲はもちろん古典的な様式を重要視してよくまとまっていますが、それでいて古臭い感じがなく、しかも古典派にはない自由さがあります。この頃は、フランクの交響曲や、本日も演奏するサン=サーンスの「オルガンつき」など循環形式(ひとつの素材で全曲を統一する手法)が流行った時代でもありますね。そのような、本来の古典派にはない新しいものを取り入れていることもこの曲の特徴のひとつです。
---この曲は、冒頭に管楽器に出るF-As- Fの音型によって全曲の統一がはかられているようです。2番の交響曲でも、冒頭に低弦でD-Cis-Dの音型が出てさますが...。
飯守 frei aber froh 〜自由に、しかし楽しく〜というモットーによる音型のことですね。3番はこの音型による統一が最高に成功していますが、同時に楽想がきわめて自由でelastic(弾力的)たという点でも際立っています。特に第1楽章の第1主題の何ともいえない自由なリズムにそのことを感じます。2拍子とも3拍子ともとれるような6拍子にシンコペーション(強拍をずらした拍子)が加わって、類まれな表現力を獲得している。この曲はベートーヴェンの第3交響曲になぞらえて「ブラームスの英雄交響曲」といわれますが、英雄という以上にもっとより人間的なものを表現しているようにも思います。
一方で、たとえば第2楽章冒頭の室内楽的な繊細さ。いかにも神経質で優柔不断だったブラームスらしい部分ですね。先ほどのモットーにしても、ブラームスの重要な友人たったヴァイオリニストのヨアヒムがモットーとして使用した
frei aber einsam(自由、しかし孤独)の方が、本当のブラームスの姿にふさわしいように感じるほどです。
それから、日が輝いたり翳ったりするように調性が頻繁に変わっていくこともこの曲の特徴でしょう。4つの交響曲の中では、3番が最も転調が自由なように思います。つまりこの曲の不思議な魅力は、交響曲としての構築性と、室内楽のようなセンシティビティ(繊細さ)の両面を持っていることに由来するのでしょうね。
---さて、次はサン=サーンスについてお聞きしましょう。サンニサーンスは日本では「白鳥」などの作品で有名ですが、その割には彼の曲が取り上げられる機会はそう多くないようです。ヨーロッパではどうでしょうか。
飯守 ヨーロッパでもあまりやらないという点では日本と同じです。オペラも沢山ありますけれど「サムソンとデリラ」くらいでしょう。あとは、コンチェルトとかヴァイオリンやピアノの小品が比較的よく演奏されています。
---彼はモーツァルトと並ぶような神童だったようですね。10才そこそこでモーツァルトのピアノコンチェルトを全部暗語で弾いたとか。
飯守 そのようですね。彼の音楽には、神童のように自由に音楽を楽しむような面があります。作曲家としては苦労なく早く書いたタイプの人です。さらっと書くから優美で、純音楽的にみてもきれいですね。しかし、ちょっと酷ないい方をすると、その裏を支える哲学というか、何か心に打ち込まれるようなものがあまり多くないのも特徴といえるかもしれません。とはいえ、ヴァイオリンとオーケストラのための「ハバネラ」は、聴いていると心が洗われるようなとっても素晴らしい曲だと思います。
彼の音楽には、かすかに香りのあるミネラルウォーターを飲んでいるような爽快さがあります。他の作曲家のような個性や味は薄いけれども、そのかわり音楽が透明であるような感じがするところが好きです。
---「オルガンつき」も同様ですか。
飯守 「オルガンつき」は、サン=サーンスの中では一番彼の個性が出た劇的な曲で、突出した傑作といえるでしょう。ですから私は、サン=サーンスのこの曲に関しては、劇的な情熱を前面に出しながらも、やはり先ほど述べたような透明でさらっとした彼の本質も、両方とも表現したいのです。
---数あるフランスの作曲家の中で、サン=サーンスの特徴的なところをもう少しお聞かせ願えませんでしょうか。
飯守 あの時代のフランスの大作家には、ビゼーやフランクがいますね。ビゼーはサン=サーンスと同じく古典的な作曲家ですが、南国風な味が大変に強いでしょう。一方のフランクはワーグナーに心酔しています。サン=サーンスはその点、北でも南でもなくニュートラルです。クセがないとでもいいましょうか。山から流れてくる清浄な水のように、自然に流れ出してきて快く過ぎ去っていくような種類の音楽ですね。この曲の第l楽章の後半のゆっくりした部分も、実に耳に心地よいでしょう。聴いていて何も残らないという人もいるかもしれませんが、これは一種の「音のぜいたく」なのだと私は思います。
---ブラームスの3番とサン=サーンスの「オルガンつき」が作曲されたのは、ほとんど同時期ですが、作曲家としてはかなりタイプが達いますね。
飯守 繰り返しになりますが、彼は神童として生まれてきて、作曲でも演奏でも何でも自在にできる人でした。彼がもう少し無器用たったら、きっと違う音楽を書いていたかもしれない、と思うこともあります(笑)。
---では深井作品に移りましょう。深井さんという作曲家をどのように見ましたか。
飯守 新響からいくつか資科を入手して目を通してみました。戦前の日本にあれだけいろいろなことのわかった人がいたことを知って驚いています。深井さんという方は実に頭の良い人ですね。
---本日の曲目の「パロディ的な4楽章」については、どのように思われますか。
飯守 よくできている曲です。「西欧の作曲家の影響をすすんで受けることを意図した」と作曲家自身はいっていますね。
---題名中の「パロディ的」というのは、どのような意味にとったらいいのでしょう。
飯守 さきはども申しましたように、彼はとても知的な人です。彼の知性の部分が、この作品を少し恥ずかしがって世の中に言い訳をするために「パロディ的」という題名をつけたのではないかと思います。それにしても、大変な作曲の能力です。私は残念ながら、深井さんの曲はこの曲しか知りませんが、せめてオペラか交響曲を一曲でも残していてくれたら、と思います。オリジナルな管弦楽曲は他に数曲しかないようですね。
---そうですね。彼の作品目録を見ると、晩年は映画音楽と深くかかわっていたようです。
飯守 あれだけ物のわかった人が、なぜもっと自分自身の創造のために時間を割かなかったかと思うと、ちょっと残念ですね。深井さんという人は、頭が良すぎてすべての物事の裏表が見えすぎてしまい、結局はもうひとつのめり込むことができなかったのでしょうか。
---資科からわかる範囲で結構ですが、1人の作曲家としての深井さんの生涯について、どんな印象をお持ちですか。
飯守 彼の著書『恐るる者への風刺』の中で、故郷の秋田へ久しぶりに帰って、秋田の民謡を聴いて感激する場面がありますね。彼はその感動を「どんな西洋音楽をもってきても換えることのでさない楽しさ」と語ります。その一方で「日本の音楽はひどく発達の遅れた音楽である」と手厳しいこともいっています。彼は対位法や和声法などの西洋音楽の手法と、たとえひどく音楽としての発達が遅れていようとやはり民謡に素直に感動してしまう自分の日本人の心との間で、一生苦しんだ人なのではないかと思います。
---深井作品のように、初演後ほとんど取りあげられない曲を演奏していくことをどのようにお考えですか。
飯守 演奏のよしあしによって初演が上手くいったり、いかなかったりすることは、よくあることです。練習量や指揮者の力量も大きく影響してきます。それと、作品のアイディアそのものはよくても、その作品に何らかの欠陥があって上手くいかないような場合もありますね。そんなときは、その作品のエッセンスを活かしつつ少し手を入れて演奏するような可能性もあるのではないかと考えています。私としては、そのような手段をとることも含めて、取り上げられていない良い曲を演奏していきたいと思っています。
---最後にもうひとつだけお願いします。この演奏会が終わると、次に新響が飯守充生にお会いできるのは約1年後になる予定です。このl年間の課題として、新響にひとことコメントをいただけますか。
飯守 そうですね...。人間で一番大切なのは、自由であること、そして同時に自由に伴う責任も受け入れて互いの自由を尊重しあうこと、だと私は考えています。これを私は「自由を使いこなす」と称していますが、新響に限らず日本のオーケストラあるいは日本の社会全体には、どうもその要素が欠けているような気がします。
私はいろいろなオーケストラの前で「記譜法に抵抗してください」「棒に抵抗してください」と言っています。記譜法というのは300〜400年ほど前に、音楽の伝達をいわば合理化するために生まれたもので、これによって確かに能率的に作曲や演奏が行われるようにはなりましたが、その代わりに楽譜以前の一番人間的で大切なものがないがしろになったという面もあります。特に日本人はまず型から入って、楽譜に忠実に棒に合わせて機能的に演奏することを重視してしまいがちですね。
でも、音楽で一番大切なのは、作曲家の脳裡に浮かんだイマジネーションや時代背景を伝えることだと思います。楽譜に忠実で見事に揃っているけれどもそこからメッセージがきこえてこない、高水準だがメッセージが不明瞭な演奏をするくらいなら、多少のキズがあっても何か人の心を動かすような演奏の方が魅力があります。
そのためには、まずひとりひとりが主体性を持って自由に演奏すること。日本人には、自由にさせて秩序が乱れることを極端に恐れる傾向がありますが、もちろん自由と勝手気ままとは違うのです。音楽の場合であれば、大変重要なのは「自由に表現しあいながら、同時に聴き合う」ことです。それも、いま出している音を聴き合うだけでなく、その前後の音も聴くということです。たとえば音程にしても生きていますから、練習のときと本番のときで違うこともあります。いつも、もっともっと耳を傾けましょう。自分に自由があるように相手にも自由があるのです。
お互いに聴き合いながらまずオーケストラ自身がひとつの有機体のようにある種の解釈をもって音楽を作り、そこに指揮者が火をつけたり、あるいは共に精神的な深みに到達するようなことが起こりうるのが、本当の姿ではないでしょうか。これを私は「自由を使いこなす」と呼びたいのです。
人間というのは、世界中どの民族でも結局みんな同じだと私は思います。それを、日本人だから違うとかできないとかいってしまっては、私たちが西洋音楽をやっている意味がなくなってしまいます。日本人のオーケストラでも、人の心を動かす演奏はできるのです。そのためには、新響のみなさんが「精神においても音楽においても自由を最大限に便いこなすこと」をモットーにして演奏を続けていっていただければと思うのです。これはおそらく、すすんで困難な道の方を選ぶ、ということになります。そして私は、新響はそれができると信じているのです。
(構成・まとめ/長島良夫、吉川具美)