2005年4月演奏会パンフレット掲載予定
曲目解説
プログラムノート
ベートーヴェン:「エグモント」序曲
山口 奏子(オーボエ)
実は、今回この曲を演奏することになって初めてゲーテの戯曲『エグモント』を読んでみた。15年近くの年月をかけて執筆され、1787年に完成した作品だ。話の舞台は1567年のブリュッセル、当時スペイン統治領となっていたネーデルランド(現在のオランダ、ベルギー辺り)の首都。翌1568年のオランダ独立戦争勃発につながる歴史の転換期を背景に、実在の伯爵をモデルとして書かれた躍動感溢れる五幕の悲劇である。
この頃同地では、カルヴァン派の教えが広まって新教派の市民による教会破壊活動などが起こっていた。熱烈なカトリック信徒であるスペイン国王フェリペ2世は事態を憂慮し、強硬派の公爵を軍隊とともにネーデルランドに送り込み、政治的発言や集会の自由を奪い、残虐な宗教弾圧に取り掛かる。圧政に反発し新教派も黙認していた民衆のヒーロー、エグモント伯爵は、公爵に召喚された際に、弾圧ではなく自由な市民活動を容認することが民衆の平静を取り戻す術であると進言し、逮捕・投獄されてしまう。エグモントの恋人である市民の娘クレールヒェン(クララの愛称)は、民衆の力を結集してエグモントの処刑を阻止しようと必死になるが、エグモントが‘大逆罪’で絞首刑に処せられると聞いて絶望し、毒を飲んで自らの命を絶ってしまう。それまで強気だったエグモントも、自らの運命を嘆いて牢獄で恐怖や不安にかられるが、処刑の朝、愛するクレールヒェンの顔をした自由の女神が夢に現れて、彼の死がネーデルランド諸州に自由を与えることを暗示する。これに励まされたエグモントは、勇気を奮い起こし、覚悟を決めて処刑台へと向かう。
実在したラモラール・エグモント伯爵は、9人の子どもを残して46歳で処刑されたことになっているが、ゲーテは、史実を脚色し、主人公の「ハインリヒ・エグモント伯爵」を独身の美しく快活な青年として描き、市民の娘クレールヒェン(クララ)との恋愛も織り込んだ。「エグモント伯爵」は、かつて対仏戦争で功績をあげネーデルランドに和平をもたらした英雄であり、勇敢で寛容、陽気で闊達、自由を愛する奔放な伊達男で民衆からの信頼も厚い。気さくで気前も良い。ネーデルランド独自の慣習や個人の良識を尊重し、自由な市民活動に理解を示すことで民衆から信頼されつつ統治する。そうかと思えば、愛するクレールヒェンに対しては、悩み、困惑する自分の弱さも見せる。実に魅力的でカッコいい。
「自分の安全のために生きる者はすでに死んでいる」、あるいは「私は高いところに立っているが、もっと高く登ることができるし、登らざるをえない。私は希望と気力を感じる。まだ成長の頂点に達してはいないのだ。もしいつか頂上に立ったら、しっかりと、びくびくせずに立ちたい。もし倒れるさだめなら、落雷、疾風はおろか、踏みちがえによって、奈落へ墜落するがいい。そこで何千人とともに横になろう」といったエグモントの言葉からは、彼の生き方や強い信念が読み取れよう。
さて、ベートーヴェンは第5、第6交響曲といった名作を完成させた後、1809年暮から1810年にかけて劇音楽『エグモントへの音楽(Musik zu Egmont)』を書いた。ゲーテの戯曲『エグモント』をウィーンで上演するにあたり、宮廷劇場の支配人が、既に他の人によって書かれていた付帯音楽とは別に、新たにベートーヴェンに作曲を依嘱したのである。ベートーヴェンはもともとこの同時代の文豪を敬愛しており、この『エグモント』についても内容に深く感銘を受け、大変意欲的に作曲に取り組んだといわれる。
作品は、今回演奏する序曲のほか、クレールヒェンの歌(ソプラノ)2曲を含む劇中の楽曲9曲から成る。劇中の音楽はなかなか聴く機会に恵まれないが、序曲は、演奏会プログラムに組み込みやすいだけでなく、純粋な芸術作品としての完成度の高さもあって、多くの人々に親しまれている。力強い弦の動機や、優しい木管の旋律がエグモントの信念やクレールヒェンの純真な愛などを表すという解釈もあるようだが、あまり注釈をつけない方がこの曲の音楽としての価値をお楽しみいただけそうだ。ただ、序曲の最後に長調に転じて現れる輝かしい勝利の行進曲は、劇音楽の最終曲と同じもので、エグモントの志やネーデルランドの独立を暗示しているといっていいだろう。「おれもいま名誉に溢れる死に向かって、この地下牢から歩いていこう。おれは自由のために死ぬのだ、自由のためにおれは生き、かつ戦ってきた、そして自分をいま受難のうちに犠牲とするのだ。」――エグモント伯爵最後の言葉から――
初演:1810年5月24日
ウィーン ブルク劇場(宮廷劇場)
楽器編成:フルート2(第2フルートはピッコロと持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、弦5部
シューマン:交響曲第4番ニ短調(1851年版)
伊藤 耕平 (ヴァイオリン)
シューマンとパトグラフィー
「狂気なき天才はいない」などと言われるが、そのことを実証しようとするのがパトグラフィー(Pathography病跡学)で、伝説的な人物たちがどんな精神的障害を持っていてそれがどう創造的な才能に結びついたかが研究の対象になる。
シューマンの宿痾ともいえる精神疾患、神経症状は何度も危機的な時期を迎え、病状の重い時期には作曲は不可能だったと思われるが、病からの回復期、寛解期には管弦楽作品などに優れた足跡を残している。
シューマンの父親アウグストは53歳で神経疾患により死亡し、母親は65歳で死亡したが晩年はうつ病にかかっている。姉のエミリアも精神的な障害があり19歳で自殺を遂げており、この悲劇の遺伝子は後年ロベルトや彼の子供たちにも引き継がれてしまい、彼の後半生は精神病発症との闘いであった。
シューマンは一つのジャンルの作品を集中して作曲する傾向があり、初期の作品番号1から23番まではすべてピアノ曲であり、「謝肉祭」「子供の情景」「クライスレリアーナ」などの名作はすべてここに含まれる。そのほか歌曲の年(1840年)、管弦楽の年(1841年)室内楽の年(1842年)が良く知られている。
「歌曲の年」にはシューマンが生涯に作曲した256の歌曲の半分が作曲されているが、1840年は9月のクララとの結婚をはさんで一種の躁状態であったようで、歌曲集「ミルテの花」は花嫁クララに捧げられている。
また、1850年以降の晩年の作品は、健康の衰えと共に作曲家の感受性にも変化をきたしたのか、かなり簡明さが表れると同時に一種重厚な響きを持つ作品が増え否定的な評価が下されることになった。ヴァイオリン協奏曲ニ短調、ヴァイオリンソナタ第3番イ短調、チェロとピアノの5つのロマンスなど5曲はクララが公表を拒否し出版も演奏もされなかったために、ヴァイオリン協奏曲などは1937年に当時の名ヴァイオリニスト、ゲオルグ・クーレンカンプが初演するまで埋もれたままになっていた。
ロベルト・シューマンは1810年、書籍商を営むアウグスト・シューマンとヨハンナ・クリスティアーナ夫妻の末の第五子として東ドイツ ザクセンの美しい町ツヴィッカウに生まれた。ツヴィッカウはライプチッヒとドレスデンに近く、この地域がシューマンの芸術活動の中心となる。時代的にはショパンはシューマンと同年の生まれ、メンデルスゾーンは1年早い1809年生まれ、ベートーヴェンは田園交響曲を完成させていた。
シューマンは7歳でピアノのレッスンを始めるが、一時は母親や後見人の意見を受け入れて不本意ながらライプチッヒ大学で法律の道に進もうとした。しかし、音楽への道は断ちがたく、当時著名な教師であったフリードリッヒ・ヴィークにピアノを習い始めるなど法律の勉強は放擲してしまった。ヴィークの娘が当時天才としてその名を知られていたクララで、二人は周囲の反対などの難関を克服し最後は裁判所の助けも借りて1840年に結婚にこぎつける。
シューマンはクララとの結婚により本格的に交響曲の作曲に取り組み始め、「管弦楽の年」1841年3月に第1番「春」を完成し、ライプチッヒ・ゲヴァントハウスの演奏会でメンデルスゾーンの指揮で演奏された。そして続いて2曲目のニ短調交響曲に取り組むが、これが本日演奏される交響曲第4番の初稿版である。この曲は「交響的幻想曲」として同年初演されるが、シューマンは出版を見合わせ10年後の1851年デュッセルドルフにて完成し、2年後の1853年シューマン本人の指揮で改訂初演された。(初稿版には2楽章にギターが用いられていたが改訂により除かれた。)
シューマンのデュッセルドルフ時代(1850〜54)は1850年に交響曲第3番「ライン」を完成するなど一時小康状態を得たかに見えたが、その後精神状態は悪化の一途をたどり1854年にはライン河に投身自殺を図り、幸い一命は取り留めたもののそのままボン近郊エンデニヒの精神病院に収容され、2年余りの絶望的な闘病を経て1856年7月29日に46歳の生涯を終える。
ロベルトの死後クララは40年の長きにわたり音楽活動を続け、彼の作品を広く紹介したが1896年に76歳で世を去った。また、翌1897年には、ロベルト、クララらと親交がありクララに対して終生憧れを抱いていたブラームスも後を追うように亡くなる。
時代はもう数年後には20世紀を迎えようとしていた。
初稿では「交響的幻想曲」と題されていたようにそれまでの伝統的な交響曲の様式を打ち破ったスタイルが特徴としてあげられる。全体は4楽章形式をとっているが、全楽章は休止なく演奏され、主題が循環して用いられ全曲がソナタ形式でまとめられているような印象を受ける。
第1楽章 ニ短調 かなりゆったりした序奏と活発な主楽章
A音の導入音の後第2ヴァイオリン、ヴィオラ、ファゴットが後続の楽章にも重要な役割を果たす序奏主題を提示し、(譜例1)大きく発展してゆく。
序奏部は主楽章に向けて速度を増し緊張感を高めヴィヴァーチェとなり、全体をまとめる重要な主題(譜例2)が続く。この音形は楽器を変え、調を変え何度もあらわれる。
第2楽章 イ短調 ロマンツエ
オーボエとチェロが独奏で哀調を帯びた主題が奏された後に第1楽章の序奏主題が続く。
中間部はニ長調となり、コンサートマスターによるソロヴァイオリンのオブリガートが現れるが、これも序奏主題の変形である。この部分は美しいが静かな曲想が続き、よく耳をすまして細かな動きを聴き取る必要がある。
第3楽章 ニ短調 スケルツオ
いきなり現れるスケルツオ主題はこれもまた序奏主題の反転形に変化を加えたものだ。
トリオ部は一転優美で叙情を帯びた下降音形が木管群により奏され、ヴァイオリンが8分音符で装飾を加える。第2トリオ部は短く省略されて、後半は終楽章への移行に姿を変える。
第4楽章 ニ短調 ゆっくりと ニ長調 活発に
ゆったりとした序奏部から段々早く咳き込む様にニ長調部に突入するのは第1楽章と類似しているが今度はフェルマータにより分断される。
第1主題はすでに第1楽章で木管楽器により使用されていたが、この付点音符音形(譜例3)はこの楽章を通して執拗とも思われるほどに繰り返される。軽さを持った第2主題などを経て終結部は速度を増し緊張感を盛り上げ全曲が終わる。
初稿版初演:1841年12月6日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス
改訂版初演:1853年 デュッセルドルフ 低地ライン音楽祭にて
楽器編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦5部
ブラームス 交響曲第2番ニ長調
中條 堅一郎(クラリネット)
この曲は、1877年夏に、ブラームスが初めて訪れた避暑地のペルチャッハ(オーストリア・南ケルンテン地方ヴェルター湖畔にある小さな町)にて手がけられました。前作の第1番を着想から実に20年以上もの歳月をかけて作曲したのに対し、ペルチャッハの美しい自然と風景をたいへん気に入ったブラームスは、この曲をわずか4ヶ月ほどで書き上げたとのことです。
ブラームスの「田園交響曲」と呼ばれているこの作品は、ペルチャッハの美しい自然を反映して自由に流れ、和やかな雰囲気が漂う一方で生気に満ち溢れた音楽となっています。キーワードは「明朗・快活」、「生の喜び」、「分かりやすさ」といったところでしょうか。ちなみに、私がこの曲からイメージする「田園」は・・・初夏の「安曇野」です。実家のある松本市から程近い安曇野の情景が、第1楽章のどこか懐かしい旋律とうまく重なるような気がしています。
さて、この曲は「牧歌的」と評されることが多いですが、だからといって「お気楽である」とか「表面的だ」というわけではありません。むしろ、ブラームス独自の交響曲様式が確立したと言えるくらいにアイディアに富んだものとなっているのです。柔和な楽章に惑わされて、私もこの曲の「抒情的な牧歌」という側面ばかりを見ていたように思います。そう、この曲を実際に演奏してみるまでは・・・!
「百聴は一演に如かず」といいますか、私にも演奏することで初めて共感できるようになった曲が数多くあります。また、演奏するまでは全く判らないような「不思議」が隠されている曲もあります。このブラームスの作品もそのひとつで、演奏するにあたって楽譜を見たときに、それまで耳から聴いて思い描いていた音符のイメージと実際の楽譜上の音符があまりに違っており、う〜んと唸ってしまうような箇所があります。
譜例1
この旋律は第1楽章の開始4分くらいに登場します。ブラームスは、4分の3拍子の中に、2拍子をはめ込むという技法をよく使っており、これは「ヘミオラ」と呼ばれています。
譜例2
これも第1楽章で、譜例1の直後にあります。旋律が拍子の1拍目から始まっていないと、なんだかとても不思議な感じがします。この部分で、クラリネットはヴィオラやホルンとともに「たんたたーったたーったたーったたーったたーっ・・・」と延々伴奏をしていますが、先の拍子の問題もあって、ややもすれば何回吹いたか分からなくなってしまう、困った箇所になっています(あくまで個人的にですが)。
譜例3
第2楽章の冒頭です。旋律がアウフタクトで始まっていますが、なぜ普通に小節の頭から始めないのか、果たしてその意味は何なのか、大いに悩んでしまうところです。私もスコアを見て、「? え? えええ!?」と正直驚きを隠せませんでした。
このように、この曲には一見理解に苦しむ箇所があります。おそらく初演当時の楽団員からも「演奏しにくいなぁ」といった声があっただろうと思いますし、それを受けてブラームスも拍子を変えるなどして対応することができたはずだと素人の私は思うのです。それをあえて直さず、そのまま残している理由はいったい何でしょうか。
もしかしたら、これも「ブラームス独自の様式」なのかもしれません。あえてリズムを複雑にしたり、旋律を1拍目から始めなかったりすることで、旋律に躍動感や重厚感などの様々な要素を持たせる。と同時に、演奏する者に注意を喚起し、演奏効果もさらに高める。この曲がそのようなことまで考えられて作曲されたものだとしたら、それまで「抒情的な牧歌」だと思っていた私も、何だか気が引き締まる感じがいたします。
最後に、実は私、以前はこの曲にそれほど思い入れはありませんでした。この曲には、第1交響曲のような劇的なドラマもなければ、第3交響曲のようないわゆる名旋律もありません。第4交響曲のように大きな伽藍が構築されているわけでもありません。しかし、練習を重ねるにつれ、自分の中で作品への共感が徐々に高まっていくのをはっきりと感じるようになりました。「何の変哲もない日常をごくふつうに過ごせることが、実はとても幸せなことなのだ」と思わせてくれる、おだやかな春の日差しのようなこの曲に、魅力を感じる今日この頃です。
第1楽章
Allegro non troppo ニ長調 3/4拍子(約23分)・・・冒頭のチェロとコントラバスによる「D-Cis-D」の3音は、この曲のいたるところで登場します。
第2楽章
Adagio non troppo ロ長調 4/4拍子(約11分)・・・「長調」ということになっていますが、短調的な憂いの表情を湛えた味わい深い楽章。
第3楽章
Allegretto grazioso (Quasi Andantino) ト長調 3/4拍子(約6分)・・・オーボエの素朴でゆったりとした旋律とテンポの速いリズミカルな旋律の対比にご注目ください。
第4楽章
Allegro con spirito ニ長調 2/2拍子(約9分)・・・ブラームスの交響曲は、すべて第1楽章と第4楽章が同じ調性になっており、均整の取れた構成になっています。
初演:1877年12月30日
ウィーン 楽友協会大ホール ハンス・リヒター指揮
楽器編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ
ティンパニ、弦5部