2005年10月演奏会パンフレットより
新響のルーツ・生い立ちについて(第3回)
ー新響トレーナー・柴山洋さんに聞く
2006年に新響は創立50周年を迎えます。年齢・性別・出身校・職業・地域などに関係なく音楽だけを求心力とするこの集団が、どのように生まれ成長してきたのか? これを機にいろいろな方から少しずつお話を伺っています。これまでの2回はベテラン団員からでしたが、今回は長年トレーナーをお引き受けいただいているオーボエ奏者の柴山洋さんに「新響の事情に最も精通した音楽家」の視点からお話を伺います。 新響ビオラ首席で早大後輩でもある柳澤秀悟も加わり、皆でひたすらマジメに、演奏について・アマチュアについて論じます。
---まずは新響との出会いから。最初にトレーナーとして来ていただいたのは?
柴山 82年の10月13日から。もう23年になります。曲はマーラーの9番、ヤマカズ(故 山田一雄)さん指揮。
柳澤 相変わらず日付や数字についてはすごい記憶力をお持ちだね。
柴山 先日練習後に飲み屋で、20年超えたから表彰してくれって言ったら、新響はもっと長い人が多いから30年位にならないと駄目だって。(笑)
---それ以前に新響の事はご存じだったのですか?
柴山 僕は最初に東京交響楽団に所属したのですが、当時東響は芥川さんと定演などで密接なお付き合いがあったんです。そこで、しばらくして芥川さんがアマチュアと付き合っていると聞いて少し驚いた記憶があります。彼の指揮の印象はどちらかと言えば、オーケストラと仲良く能率よくやろうという感じだったので。練習もざっと流すだけであまり止めたりしなかったし。
柳澤 芥川さんが?へー?
柴山 時間がなかったということもあるのですけどね。で新響の話を知人から聞くと、こっちではこういう練習なのかとビックリした。しかもアマチュアオーケストラをわざわざ標榜して・・・。
柳澤 芥川さんって新響では必ず(楽譜の)練習番号ごとに練習を止めていたんだよね。止めるからには何かあるって思うんだけど、『良かったね。じゃ先行こうか』って。(笑)
---新響への印象はいかがでしたか?
柴山 はじめに来たときは、とにかく荒っぽいなって思った。 それとその当時から、新響はアマチュアとは何か、何ができるのかという命題で考えることがすごく多かったですね。芥川さんもそういうことを言っていた。
柳澤 はいはい。(笑)
柴山 僕の方はトレーナーとしてプロとかアマとか全く関係なしに新響と接しているつもりだったので、アマチュアと事さらに言われても戸惑うところがあった。でも、それを言わなければいけない時代環境だったのじゃないかとも思います。
柳澤 それはね、アマチュアでなければ出来ない事があるってことを言ったのだと思うんです。邦人作品をやった時など、何十年も演奏されてない曲のまずパート譜を自分たちで作るところから入る。俺たちは好きでやっているし一回の演奏会にたっぷり時間が持てる。何よりも経済原則、市場経済を度外視できる。何せ自分で金払って演奏するわけだから。
柴山 それには同意見。僕が言いたいことを君が全部言っちゃった。(笑)その頃の芥川さんは、アマチュアのことを熱く語っていたし、音楽の啓蒙ということをすごく考えていたよね。東響とのラジオ番組「百万人の音楽」、同じ系列局のテレビ番組「芥川也寸志のコンサートコンサート」、その後にNHKの「音楽の広場」でしょ。いろいろな音楽の紹介とかやってすごく面白かった。新響が出演した時も、アマチュア音楽って素晴らしいんです、と語っていた。
柳澤 芥川さんがよく高校野球の話をするわけ。ピッチャーゴロでも全力疾走で一塁走るだろと。要するに常に一生懸命に弾けっていうことをおっしゃるわけ。その辺がおそらく柴山さんが、荒いなと感じられたとこじゃないかと思うんだけど。
柴山 うーん、音楽に近づく方法・姿勢としてそれはあったのかもしれないですけど。僕はトレーナーとして指揮者とか、オーケストラを主宰する人とかとは観点が違う。新響は運営面では素晴らしいと思う。それは芥川さんがいらした頃からの努力であり、工夫であると。そこは僕はもうすごく感動と言うか、尊敬しているわけですよ。だけど、音そのものに関してはもっとやることがあるのじゃないかと思う。
---じゃ、そちらの話に行きましょう。
柴山 今大雑把に回想すると97年のブルックナーの7番がエポックメイキングだった。
---飯守さんの指揮ですね。どういう意味で?
柴山 音がね、一つの方向にまとまってきた。みんなが闇雲にあっちこっちに向かうのじゃなくて。音楽に近づくためには、音そのものに興味を持ってよくしなくちゃいけない。これを飛び越して音楽というのはありえないと思う。つまらないかもしれないけど、一番初めにやらなくちゃいけない。
柳澤 まさにアマチュアの一番いけないところは、まずすぐに音楽論議にいっちゃうところなんだ。で、その見方からするとどうですか?
柴山 ブルックナーの7番の辺で、あ、随分変わったな、今までと全然違うわいと思ったのが印象に残っている。後は98年に小泉さんの指揮でやったマーラーの6番か。
---で、それが一過性ではなかったと?
柴山 あれ以来、右肩上がりがずっと続いていたんだけど・・・。
柳澤 いた?
柴山 ここ2年くらいちょっと上がり方がなだらかになった様な気がする。素材はすごく良くなったのね。でも今ここで聞かせてほしいと思った時に、ちょっと表面を滑らかにするような方向に行っちゃっているようで。僕は新響にはもっと爆発してほしいんですよ。
柳澤 ばくはつ? それは新響の得意技じゃないですか。
柴山 「暴発」ではなくて。
(大爆笑)
柴山 結果を考えずに出すのと、予測しながら出すのとではちょっと違うと思うんだよね。別の言い方をすれば、凝縮したものを凝縮して伝える、というかね。実際には新響の演奏はどんどん良くなっているんですよ。この間の「ローマ3部作」(05年1月演奏)なんか素晴らしかった。ただ、もっとやればできるのに、ここでもっと聞かせてほしい・・・というところがまだ多い。
---新響の課題が明らかになってきたという事でしょうか?
柴山 実際に演奏しているみんなで感じ取っていろいろ考えて試してみると、ときどき素晴らしい音がでてくるんですよ。
---新響は、指揮者の注意を翌週の練習ではもう忘れているので、「揮発性メモリー」などと言われます(笑)
柴山 そういう体験が繰り返されると自分のものになってくる。あと一番大事なのは楽器を弾いていて楽しいか・充実感があるかどうかだと思う。 やみくもに荒っぽくやっていると自己満足できるかもしれないけど充実感が少したりないなと。だんだんそれでは満足できなくなってくる。
柳澤 新響の問題点はいっぱいあるけど唯一よいところは、本番が終わった後団員の間で、今日はよかったね、とかあまり言わないこと。常に批判的なんだよね。やっぱり、ノリや勢いだけでは20年も30年も続かないですよ。
柴山 そういう意味では、この間の「ダフニスとクロエ」(05年7月演奏)などは、いい味が出てきたなと思いました。これまではうまくいかないとそこでコテっといって失敗、という感じだったけど、あの演奏会では予定通り行かなかったことが味のようになってきて、なかなかすごいなと思った。
---それは失敗してもめげずに立ち上がってきた、という事ですか?
柴山 そうじゃなくて、味になるんですよ。トチっていいとかズレていいとかそういう問題じゃない。本当は予定通り行くのが一番良いのだけど、なかなかそうは行かないでしょ。でもそういう時に、仮にトチるんだったら、いいトチり方をするようにというのを、プロアマ関係なく考えていたわけです。これがやっと新響に適用できるようになってきた。
柳澤 まずは予定通り行ったほうがいいの?
柴山 だって、そのために練習をやっているんだよ。
---そこなのですけど、アマチュアの演奏っていうのは本番の伸びに期待してしまうところがあって・・・。
柳澤 それそれ。昔聞いたんだ。本番で緊張してわっと爆発させれば周りを感動させられるって。練習の時よりも良くなるって。それはおかしい。
柴山 練習から右肩上がりの線が続いて本番が一番よければいいのだけど、世の中そういうことはありえない。最後の練習で100だったら、本番は95とか、それが現実的で最高の演奏だよ。それが昔はいろいろあって、練習が70で本番が91といった時があったんじゃない?
---ただ、最近の新響にはそういう全力疾走の魅力のような部分がなくなったという団内外からの声もあるのですが。
柳澤 集中っていうか、いわゆる本番の魔力がね。演奏を別物にしてくれると。
柴山 うーん、でもそれは若い人には言えるかも知れないね。昔はみんな若かったから。(笑)
---オーケストラにも年齢があるとすれば、あの頃と同じ事はできないし、やるべきではないのかもしれません。且つ芥川さん時代のエネルギーを持ち続けていたい。
柳澤 でも確かにアマチュアの演奏は本当に人を感動させられる時があるよ。たとえば芥川さんでやったショスタコーヴィチの「祝典序曲」(82年演奏)のテープを聴くと改めてわくわくしちゃって、あれは確かに聴いている人を感動させていると思う。この間の「ダフニスとクロエ」でお客さんから貰った拍手も本物だった。舞台で聴いていればわかるよね。もちろん技術がなくちゃクラシック音楽はできないんだけど。
柴山 だから、それを音楽への愛とか、気合とか、簡単な言葉でスキップしないで欲しいなという気持ちはありますね。それがトレーナーの立場です。
あと新響で面白いのは、音符以外のところからのアプローチというのが結構行われていること。例えば、プロコフィエフの「キージェ中尉」( 03年演奏)のスコアに書いてある歌詞を訳したり、ドイツ語の得意な人がいてR.シュトラウスの「四つの最後の歌」(03年演奏)の訳を発表したり、昔からワグナーに関してはうるさい人がいっぱいいたり・・・。 矢代の交響曲(05年7月演奏)の時も作曲家の事をいろいろ独自のルートで調べて書いてくる。こういった団員が大勢いるということは素晴らしいことだと思いますよ。
---ありがとうございました。どうぞこれからも引き続き新響の「音」をよろしくお願いします。
柴山 理想というか本当に100%を実現することは誰にも出来ないので、そこに向かって右肩あがりを続けていくのが一番良い状態だと思います。かなり皆の意識は高くなってきたので、無農薬有機栽培のようないい素材が出来てきています。今日はごちゃごちゃ言ったけど、外から見たら素晴らしいものですよ、新響は。
【柴山 洋 (しばやま ひろし) ハオーボエ奏者】
1948年生、早稲田大学中退後桐朋学園に学ぶ
1970〜85年 東京交響楽団、新日本フィルに在籍、共に首席を務める
新日本フィル定期演奏会等で多数ソリストとして共演
1985年オーケストラを退団した後はフリー奏者として現代音楽、スタジオでのレコーディング、古楽器演奏、バロックオーボエの製作など様々なジャンルで活躍
桐朋学園において後進の指導も行なっている
新響には1982年以来トレーナーとして関わっている
付録:柴山洋さんの"超私的"新響ベスト演奏
・ 飯守泰次郎 指揮:ブルックナー/交響曲第7番 (第157回、97年4月)
・ 小泉和裕 指揮:マーラー/交響曲第6番 (第161回、98年4月)
・ 井崎正浩 指揮:伊福部昭/タプカーラ交響曲 (第165回、99年4月)
芥川也寸志/トリプティークより第2楽章(アンコール) (九州演奏旅行, 99年5月)
・ 小松一彦 指揮:レスピーギ/「ローマ」三部作 (第188回、05年1月)
・ 飯守泰次郎 指揮:ラヴェル/ダフニスとクロエ 全曲 (第190回、05年7月)
番外:
・小林研一郎 指揮:スメタナ/交響詩「わが祖国」全曲 (第156回、97年1月)
・原田幸一郎 指揮: ブラームス/交響曲第2番 (第143回、94年4月)
(註) 「新響の進歩がはっきりみえてきたブルックナーの7番以降の演奏会に集中してしまいました」ー柴山さん
聞き手・監修 : 川辺(Vn)
編集: 名倉(Vn)、土田(Tub)