2006年4月演奏会パンフレットより


曲目解説 プログラムノート


猿谷 紀郎/Swells of Athena 揺光の嵩まり

 「若手」とか「気鋭の」と表現されてきた作曲家・猿谷紀郎は、今その確たる地歩を築き、日本における現代音楽の「今」を象徴する作曲家の一人であることに間違いがない。常に時代の「今」を活きてきた新響が、このような現代の作曲家の曲を、指揮者と作曲家から繰り出す解釈と意図との切りこみに直面しながらプログラムに加えるのも、新たな音楽体験としての醍醐味である。
 稚拙な曲の説明をするよりも、作曲者自身が寄稿された初演時の解説(猿谷紀郎氏及び委嘱・初演した大阪センチュリー交響楽団の了解のもとに掲載)、あわせて猿谷紀郎氏とのインタビュー記事をご覧いただくことで、そのイメージをお伝えしたい。

「Swells of Athena/揺光の嵩まり」

「神は宇宙を創る前は、何をしていたのでしょうか」と、さる高徳な聖職者にある人が尋ねたところ、その聖職者は答えに詰まってしまったという、有名な話があります。私にとってはこの際、正解を追い求めることはあまり、意味のないことであると思っています。というのは、やはりそれ以前にも、宇宙はすでにあったと思うからです。その宇宙は、広がり、すぼまり、ねじれ、揺らぎ、そして又広がり、延々と果てしなくつながっていき、何が頭か、どこがしっぽかわからないまま、混然となってしまったのではないか、又部分的に見れば、広いとも狭いとも、明るいとも暗いとも、有限とも無限とも、あらゆる想像を経て、満たしてくれる存在が、その姿であるように考えているからです。
 神々は、その正体不明の流れに対して、多次元的秩序をもたらしてきたのではないでしょうか。アテーナはご存知のとおり、女神の中の女神で、知徳をつかさどり、芸術、音楽を支配するという、作曲家にとっては忘れてはならない女神で、彼女はこの秩序づけを受け持つとき、やはり自らの専門とするところを、重力などにより簡単に揺らいでしまう、伝達手段としての光や音とともに、重点的に成し遂げてきたと思います。彼女が整理する無限の音について、宇宙のうねりに感応し、そのほんの少しの刺激を、作品に取り入れてみようと考えました。そのうねりには、外側も内側もなく、相似でも相同でも重なったり離れたり、本来のままの不完全な安定さが、常に存在していると信じています。 (猿谷 記)

作曲者プロフィール

 1960年東京生まれ。慶応義塾大学法学部卒業後、ニューヨークのジュリアード音楽院作曲科に留学、87年同大学院を名誉奨学生として卒業(修士号)。パーシケッティ、ヘンツェ、ナッセンの各氏に師事。これまでに、タングルウッド音楽祭、アルスフェルド音楽祭、などの音楽祭に招待され、クーセヴィツキ音楽財団・フェロウシップ賞 (88年) 、ミュンヘン・ビエンナーレ・BMWミュージックシアター賞 (92年) などを受賞。92年<Fiber of the Breath 息の綾>を発表。新鮮な作風が話題となり、一躍その名を知られることとなり、93年、第3回芥川作曲賞、第3回出光音楽賞を受賞。同年京響委嘱<ゆららおりみだりFractal Vision>が初演され、第43回尾高賞を受賞 (95年)。以降、次々と委嘱を受け作品を発表している。97年、八ヶ岳高原音楽祭の音楽監督をつとめる他、2003年ヘンツェのオペラ「午後の曳航」日本語初演(読響主催)の日本語歌詞を監修。蘭このみスペイン舞踊公演「桜幻想」(音楽担当)、薬師寺「最勝会」復興上演(音楽監督「鼓音之楽」を作曲)及びNHKFMドラマ「怪し野」(音楽担当)がそれぞれ第58回(平成15年度)芸術祭大賞及び優秀賞を受賞。04年イシハラホール会館10周年企画「三井の晩鐘」の音楽を担当。この公演が第4回佐治敬三賞を受賞。05年読響委嘱作品「ここに慰めはない」が初演され、この作品が第54回尾高賞を受賞。
 CD化されている作品には「Fiber of the Breath 息の綾」「可惜夜舞(あたらよのまい)」「結晶からの誘掖」「揺光の嵩まり」「火喰鳥」「風の風韻」(以上フォンテック)、「ときじくの実」「青い地嗾」(以上ワーナー)、「アイテールの貪欲」(カメラータ)、「円環の軌」(コロンビア)、「透空の蔦 Projection Orbit」(ユニバーサル)がある。


ショスタコーヴィチ(バルシャイ編)/室内交響曲

藤澤 義光(コントラバス)

バルシャイについて

 世の中に室内楽の楽曲は星の数ほどある。しかし、恥ずかしながら私はあまり室内楽に詳しくない。なぜならば、コントラバスが含まれている曲が非常に少ないからだ。そのような我々にその素晴らしい楽曲に触れさせてくれる人々が存在する。今回演奏するショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番を室内交響曲へと編曲してくださったルドルフ・バルシャイもその一人である。
 ルドルフ・バルシャイは1924年8月28日ロシア生まれで、現在はスイス在住している指揮者である。日本にも度々来日しているので、ご存知の方もいらっしゃるだろう。バルシャイはモスクワ音楽院にて、ヴァイオリンをツァイトン、ヴィオラをボリソフスキーに師事し、ショスタコーヴィチにも師事したことがある。現在は指揮を振っているが、音楽キャリアのスタートは、ヴィオラ奏者であった。モスクワ音楽院弦楽四重奏団(現ボロディン弦楽四重奏団)をはじめとし、チャイコフスキー弦楽四重奏団にも参加。1949年にはブダペストで開催された世界青年学生フェスティバルで最高名誉賞を受賞しているほどの凄腕である。
 四重奏に精通し、ショスタコーヴィチ本人に師事したことがある方が、今回の編曲を手がけているのである。したがって、コントラバスの使い方も素晴らしい。ただ、単純にチェロのオクターヴ下を弾く訳ではないのである(世の中には本当に単純にチェロと同じというのも多々あるのだ…)。そんなこの上ない編曲によって演奏に参加させていただける幸せをこの身に感じている次第である。

弦楽四重奏曲第8番について
 室内交響曲の元になっている弦楽四重奏曲第8番は1960年の作品である。1960年といえば、フルシチョフが登場し「スターリン批判」をした後のいわゆる「雪解け」の時代である(1960年は、U2型機事件などもあり、実は一発触発になりかけていたのだが…)。そんな時代の雰囲気がさせたのか、ショスタコービィチはこの曲で初めて自分自身が作曲した曲のモチーフを多数用いている。交響曲の1番、10番、歌曲、ピアノ三重奏、チェロ協奏曲1番などがそれである。また、得意のD-S-C-H(ドミトリー・ショスタコーヴィチの頭文字)を使った主題が全編を貫いている。これは、この曲のタイトルが「ファシズムと戦争の犠牲者の思い出に」となっているが、それはショスタコーヴィチ自身ではないか、と言われる所以である。
 この曲は、絶え間ない5楽章で成り立っており(絶え間ないので気がつくと楽章が変わっているのだ)ハ短調で始まり、ハ短調で終わるという非常に暗い曲である(この陰鬱さがショスタコーヴィチらしい!)。それでは、楽章ごとにかいつまんで解説していきたい。なお、今回の解説は、バルシャイがわざわざコントラバスを仲間に入れてくれているので、コントラバス奏者としてのコメントも添えさせていただく。

第1楽章 Largo ハ短調
冒頭はチェロとコントラバス(!)のユニゾンでD-S-C-Hの主題があらわれ、高弦へとフーガが展開されていく。これは3つの対旋律を組み合わせてロンド的な形で進んでいく。コントラバスは主にCの音をひたすら伸ばしている。これがまた陰鬱なイメージを引き立てていることは言うまでもない。最後は嬰ト音で静止し、激しい2楽章へと続いていく。

第2楽章 Allegro molto 嬰ト短調
 激しい主題が第1ヴァイオリンから始まり、4声のカノンへと発展していく。当然コントラバスにも主役がまわってくる(チェロとユニゾンだが…)。待ってました!とばかりにゴリゴリ弾くコントラバスが見られるはずである。そのように悲痛な怒りが頂点を迎えると、ヴァイオリンにユダヤの主題が現れる。このときヴィオラ・チェロは激しいアルペジオを展開し、コントラバスはCの強烈なピッチカートで曲を盛り上げる(さすがにバルシャイはコントラバスのことをよくご存知だ)。そして、前半部分の再現があり突然休止、第3楽章へと続く

第3楽章 Allegretto ト短調
 ロンド形式のワルツ。練習の際に高関先生が「シベリアに送られた薔薇の騎士」と表現されていたワルツ。どことなくシニカルな響きのするワルツが展開される。そして、ワルツと言えば、頭打ち。頭打ちと言えば、コントラバス(勝手にそう思っている)。ワルツが反復を重ねる中、突然チェロ協奏曲第1番の第1主題があらわれ、その後情熱的な素晴らしいチェロ独奏を経た後、各主題が再現したのち第4楽章へと続いていく。

第4楽章 Largo 嬰ハ短調
 激しい3連発の強奏で幕を開ける。またもや受け売りで恐縮なのだが、高関先生曰く「ミッシャー・マイスキーがこれはKGBのノックだ。KGBは必ず3回ノックするのだ、と言っていた」と仰っていた。正にそのとおり、という冷酷な響きがする3連発である。この楽章にはディエス・イレの旋律、交響曲第11番の楽想、ロシア革命歌、交響曲第10番の断片、歌劇イズマイロヴァ第4幕のアリアが断片的に現れては、「KGBのノック」で消されていく。コントラバスも「KGBのノック」に一役買っている(はずである)。どれだけ、冷酷で、正確な3つが打てるかを楽しみにしていただきたい。

第5楽章 Largo ハ短調
 この楽章は、第1楽章の後半の再現であり、同時に今までの楽章の集約でもある。1楽章の再現と言うことであれば、それはつまりチェロとコントラバスの主題の再現であり、Cの持続音の再現でもある。コントラバス奏者としては、このハ短調で始まり、ハ短調で終わる曲の最後を、その調性の根幹であるC(ハ音)を弾いている幸せをかみしめているのである。

 多少のユーモアを交えて解説を書いたつもりだが、本来この曲は非常に中身が濃く、重たい曲である。それは、ソ連という国が抱えていた重さなのか…。戦後の安穏とした日本で暮らしている私には到底到達できない深い深い哀しみがそこにはあると思う。
 数年前、元東ドイツのバルト海沿岸の港町(ロストック)に訪れたことがある。そこで見た厚い雲、暗い海、レンガ造りの重苦しい家、寒風…。あの風景と、燃え滾るような才能を持った人間が権力との戦いに身を投じざるを得なかった苦しみ、そして願いが私の頭の中で交錯している。本日の演奏で、その風景の一端を観客の皆様にお見せできることを願っている。

参考文献:
・作曲別名曲ライブラリー15「ショスタコーヴィチ」音楽之友社
・「ショスタコーヴィチの証言」ソロモン・ヴォルコフ編 水野忠夫 訳 中央公論社
・「驚くべきショスタコーヴィチ」ソフィア・ヘーントワ著 亀山郁夫 訳 筑摩書房
・「ドミトリ・ドミトリーヴィチ・ショスタコーヴィチ 〜ソ連文化史の素顔〜」藤澤 義光 著(卒業論文)
初演:1960年10月2日 レニングラードのグリンカ小ホールにて 演奏:ベートーヴェン弦楽四重奏団
編成:弦5部


リヒャルト・シュトラウス/アルプス交響曲

園原 茂(ホルン)

 自然とは、芸術家たちにとって、ただそこにあるだけのものではない。芸術家自身の反映なのだ。彼がその姿をキャンバスに描くとき、そこには筆を持つ彼の感覚や、心のありようが同時に映し出される。例えば印象派の画家たちは、ただ目の前にある自然を再現しようとしたのではなく、自然を描くことによって、自らを表現しようとしたのだ。
 同じ意味で、リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」も、ただ純粋にアルプスの登山の過程を音でスケッチしようと試みただけの作品ではない。厳密な意味では、本交響曲は、彼が数多く作曲した交響詩とは異なるかもしれない。しかし、ベートーヴェンの「田園」以来の自然を主題にした交響曲の形式でありながら、詩的なものとの融合が試みられている。山への畏怖、風景への感動、登山者の心の動きなどが響きと共に伝わってくるからこそ、本交響曲は名曲と言えるではないだろうか。
 リヒャルト・シュトラウスは1864年、ドイツのミュンヘンで生まれた。父親のフランツ・シュトラウスはミュンヘン宮廷歌劇場の主席ホルン奏者で、古典派やブラームスの作品を愛する、保守的な音楽家であった。彼は非常に早い時期から作曲を始め、その後ベルリンに移り、マイニンゲン管弦楽団の指揮者を努めた。彼の名前を高めたのは交響詩とオペラの作曲によってで、交響詩では、ニーチェのテキストのタイトルが付けられた「ツァラトゥストラはかく語りき」は映画『2001年宇宙の旅』で使われ、クラッシック・ファン以外にも耳なじみとなっている。オペラ作品としては、1905年にオスカー・ワイルドの戯曲に作曲を行った『サロメ』が大きな反響を呼び、その後、詩人フーゴ・フォン・ホフマンスタールと数多くのオペラを共作し、成功を得ている。また、シュテファン・ツヴァイクやロマン・ロランといった作家との交友が知られている。
 1930年代以降のシュトラウスについては、ナチスとの関係が問題とされる。彼はナチスの要請によって音楽活動を行っていた事実が指摘されているが、一方でユダヤ人を保護しようとしたという意見もあり、第二次世界大戦後に裁判にかけられたが最終的には無罪となっている。
 アルプス交響曲は1911年から15年の間に作曲され、1915年10月28日に、自らの指揮でドレスデン宮廷管弦楽団によって演奏された。本交響曲は、彼が14(15)歳のときの登山体験が動機となったと言われている。彼は、真夜中の2時に出発して近くの山に登山に出かけた。5時間かけて彼は頂上に登り、美しい眺めを楽しんだのだが、下山しようとして道に迷ってしまった。さらに途中で嵐に遭い、ずぶ濡れになりながら、なんとか戻ってくることができたのだった。そしてすぐに、彼はこの体験をピアノで作曲し、表現しようとしたのである。30年以上を経て、幾度かの構想をふまえて本交響曲は完成した。
 本交響曲は単一楽章から成っていて、便宜的に22の部分で構成されている。楽譜のところどころに「夜」とか「滝」といった語が記されているに過ぎないが、以下、それらの部分に沿って概観していく。

・夜 陰鬱とした夜を表す不協和音から始まる。次第に金管楽器の荘厳な山の動機が展開され、日の出が近いことが分かる。
・日の出 イ長調による壮大な太陽の動機を受け、山に対する強い意志を感じる。
・登山 低弦楽器から始まる勇ましい旋律に、最後ホルンを中心とした金管楽器による狩のイメージのファンファーレが応え、山登りの快活さを伝える。ホルン好きの作曲者の真骨頂である。
・森への立ち入り 弦楽器が木々のざわめきを示す中、ホルンとトロンボーンによる旋律が奏される。途中、鳥の鳴き声のようなフルートの音色が聴く者を楽しませる。
・小川に沿っての歩み 弦による小川のせせらぎが聴こえてくる中、再び山の動機が展開。
・滝 木管楽器と弦楽器、そしてハープとチェレスタにより、雄大な滝の流れと水しぶきを表現。
・幻影 水しぶきの中にオーボエによる幻影の旋律を見ている。最後にホルンによる新しい旋律が登場。
・花咲く草原 再び山登りの旋律をバックに、花畑を進んでいく。
・山の牧場 カウベルやアルペンホルンが鳴り響く中、さらに足を進める。
・林で道に迷う 登山者は道に迷ってしまうが、先が見えない中、早足に強引に進んでいく。
・氷河 目の前が明るくなり、壮大な弦楽器による山の動機が展開される。
・危険な瞬間 しかし不安は消えず、遠くからはティンパニによる雷鳴の轟きが聞こえてくる。
・頂上にて 本交響曲のクライマックスのひとつ。オーボエによる悠々とした旋律の後、山の崇高さと気分の高まりが合わさり、雄大な旋律を描く。
・眺め 歩いてきた道のりを振り返るように、これまでの旋律が繰り返される。
・霧が立ちのぼる ファゴットと、めったに使われないリード楽器ヘッケルフォンが不安な旋律を奏で、辺りが薄暗くなっていく。
・次第に日が翳る 太陽の旋律が短調で奏でられ、雲行きが怪しくなっていく。
・哀歌 爽快な気分は去り、ヴァイオリン、木管楽器による悲しげな旋律。
・嵐の前の静けさ 天気はさらに悪くなる。フルートやオーボエがぽつぽつと落ちてきた雨を、ティンパニや大太鼓が遠くから聞こえてくる雷鳴を表す。
・雷雨と嵐、下山 そして、ついに嵐の中を下山する。ウィンドマシン(風音器)やサンダーマシン(雷音器)による落雷の音色が聞こえる中、登山の際に登場した旋律が逆の順序で、しかも大急ぎで下山しているためか、急展開で演奏される。
・日没 嵐はおさまり、再び太陽の旋律が展開される。いましがた登ってきた山を仰ぎ見るように、哀歌の旋律が繰り返される。
・終結 オルガンの伴奏でホルン、トランペットが静かに下降していく。何気に難易度が高い。さらにゆったりと太陽の旋律が展開され、山登りの旋律も回想するように聞こえてくる。
・夜 そして再び冒頭の夜の旋律が流れ、山は闇に包まれる。

 「アルプス交響曲」を聴いていると、登山者の五感がひとつひとつの音に対応するかのように感じられる。今回の演奏から、アルプスの空気を感じ取っていただきたい。

編成 フルート4、ピッコロ2、オーボエ3、コールアングレ1、ヘッケルフォン1、クラリネット3、Esクラリネット1、バスクラリネット1、ファゴット4、コントラファゴット1、ホルン8、(テナ−チューバ4)、トランペット4、トロンボーン4、テューバ2、ティンパニ2,シンバル,トライアングル, 大太鼓,小太鼓,木琴,タムタム,ウィンドマシン(風音器),サンダーマシン(雷音器),カウベル、オルガン,チェレスタ、ハープ、弦5部
舞台裏ホルン・トランペット・トロンボーンは今回舞台上奏者にて舞台で演奏
参考出展 鎌田圭輔
参考文献
『作曲家別名曲解説ライブラリー:9 R.シュトラウス』音楽之友社編 音楽之友社 1993
『R・シュトラウス』ヴァルター・デピッシュ 音楽之友社 1994
『大音楽家・人と作品:23 R.シュトラウス』安益泰音楽之友社 1964
初演:1915年10月28日 シュトラウス指揮ドレスデン宮廷管弦楽団

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ヘッケルフォンについて

堀内 俊宏(オーボエ)

 本日演奏するアルプス交響曲では、ヘッケルフォンという珍しい楽器が登場します。
 皆様ご存知のあのワーグナーが、オーボエよりも1オクターブ低く、オーボエと、柔らかくて力強いアルペンホルンの響きを併せ持ったダブルリード楽器を渇望していることを、ワーグナー本人から直接聞いた楽器職人のヴィルヘルム・ヘッケル(ファゴット老舗メーカー“ヘッケル社”の2代目)が25年以上の開発期間を経て完成させ、1904年、その楽器はバイロイトでお披露目されました。(ワーグナーはこの時すでに亡くなっており、残念ながら聴けませんでした)
 その直後の1905年、R.シュトラウスがこの新楽器を自分の曲に取り入れたのが彼のオペラ「サロメ」であり、また今回演奏するアルプス交響曲なのですが、実はこれ以外にこの楽器が使われた曲はあまり知られておりません。従って楽器の本数も少なく、今回の演奏にあたり色々と調べたのですが、日本では4本の存在しか分かりませんでした。どんな音がするのかって?…それは聴いてのお楽しみです…と言いますか、私もそばで聴くのは初めてで、正直良く分かりません(そのくらい珍しいということでお許しを)。皆様も耳を澄ましてお聴き下さい。


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