第194回演奏会パンフレット(2006年7月)掲載予定
安田俊之(チェロ)
今年2月8日、伊福部昭先生が91歳で逝去されました。日本作曲界の重鎮、多くの作曲家を育てた教育者(本日1曲目の芥川也寸志、3曲目の黛敏郎もその薫陶を受けています。)、そしてゴジラをはじめとする映画音楽の作曲家としても広く親しまれていました。
新交響楽団にとっても深い縁があり、これまでの演奏会で幾度も伊福部作品を演奏してきました。(因みに「交響譚詩」は9回、「シンフォニア・タプカーラ」は1980年の改訂版初演以来14回の演奏記録があります。)
最近では、7年前の第165回演奏会(タプカーラを演奏)や4年前の伊福部昭・米寿記念演奏会で、まだまだ元気なお姿を拝見したことが、つい昨日のことのように思い出されます。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
本日2曲目に演奏する「管絃楽のための日本組曲」は、伊福部19歳の時に書かれたピアノ作品が58年の歳月を経て作曲者自身の手で管弦楽版に編曲されたものです。
はじめに原曲のピアノ組曲が作曲された時のエピソードをご紹介しましょう。
当時スペインで活動していたジョージ・コープランドというアメリカ人ピアニストがおりました。彼の「スペイン音楽集」というレコードがあり、当時の世評はさんざんな悪評だったそうですが、伊福部と友人・三浦淳史(後・音楽評論家)はこれを聴いていたく感動し、コープランドにファンレターを送りました。すると「地球の裏側で私の演奏を理解してくれるのなら、音楽を勉強しているのだろう。何か作品があるのではないか?」との返事が来たそうです。三浦が「友人に作曲家がいる」と返事を書き送り、後から伊福部に「曲を送ると返事した。君が送らなかったら国際問題だな」と平然と脅しをかけ作曲するようにしむけたそうです。そこで伊福部は自分で書き進めていたピアノ作品を組曲にまとめてコープランドに送ったのです。(伊福部は三浦のことを「自分を作曲という無限に続く道に引きずり込んだ悪魔」という意味で、ファウストに登場する悪魔になぞらえて「メフィストフェレス」と呼んでいます。)
この曲は日本古来の踊り、伝統行事を並べて構成されています。伊福部自身この作品に対して「西欧の組曲がメヌエット、サラバンド、ジークなどの舞曲で構成されているから、その日本版を」という考えもあったようです。
このようにして1933年に作曲されたピアノ組曲が管弦楽版に編曲されたのは1991年のことです。この58年間は何を意味するのでしょうか?
まだ管弦楽作品を発表したことがなかった19歳の青年・伊福部ですが、その胸に秘められた日本人としての熱い想いを、まずピアノ作品という形で表現しました。しかしこの時点で彼の頭の中には管弦楽規模のイメージが出来上がっていたような気がするのです。何故なら、原曲のピアノ譜を見ると、まるでオーケストラのスコアをピアノ譜に書き直したかのような音の構成、厚みを持っているからです。そして58年たった77歳で、そのイメージを管弦楽曲として実現したのではないでしょうか。自らの軌跡を振り返る意味も含めて・・。伊福部にとって日本組曲は、彼の作曲家人生のスタートだったのですから。
(因みに管弦楽版以外にも同じ1991年に二面の二十五絃筝版、さらに1998年には弦楽合奏版が初演されています。)
曲は「盆踊」「七夕」「演伶(ながし)」「佞武多(ねぶた)」の4曲で構成されています。
日本の古くから伝わる伝統行事であり、また伊福部自身の北海道、東北での体験も折り込まれた日本人文化の一端が凝縮されています。
実は、私自身も日本人でありながらこれらの体験については、近所の町内会での盆踊り大会や子供の頃の七夕行事くらいしか思い浮かびません。青森地方のねぶた祭りを体験なさった方はいるかもしれませんが、なかなか身近なものとして体験出来る機会は少なくなっていますね。
第1曲:盆 踊
伊福部がイメージしたのは、少年時代を過ごした北海道・音更(おとふけ)町での盆踊りだそうです。短い夏の伝統行事として催されたこの行事は、町全体をあげて激しく盛り上がり、時には下品な歌が出たり、若い男女が暗がりへ消えていったりと、当時の風習としても過激なものだったようです。こうした風習に対する規制もあったようですが、伊福部はそれに反発する意味もあってこの曲を1曲目に置いたそうです。
太鼓の激しいリズムをオーケストラの全奏で表し、囃子の笛がフルートやヴァイオリンで奏されます。太鼓リズムが強奏、弱奏で繰り返され、最後に踊り狂う人々を表すように盛り上がって曲が終わります。
余談ですが、伊福部の生涯唯一の師とも言えるロシアのチェレプニンは、この盆踊を大変気に入り、真っ先に自分のコレクションに加えたとのことです。
第2曲:七 夕
もとはお盆の行事だった七夕ですが、後に中国伝来の星祭りである「乞巧奠(きこうでん)」、織り姫・牽牛伝説と結びつき現在の形になりました。伊福部がイメージしたのは、祭りの終わりに人々が願いを込めて書いた短冊を竹飾りに結わえて川に流す、七夕流しの情景ではないでしょうか。
木管の平行五度の旋律が楽器を変えて延々と流れていきます。亡き人への思いをしみじみと感じされるかのような音楽です。
第3曲:演伶(ながし)
演伶とは「流し」のことですが、伊福部の頭には新内節の流しがあったと言われています。
新内流しとは江戸浄瑠璃の1つである新内節を2人1組で演奏しながら街を流し歩くもので、1人が三味線、もう1人が語り大夫となります。
踊りを彷彿とされる音楽で始まり、哀愁を帯びたクドキ(芸人自身の不幸・不遇を嘆く哀切なフレーズ)が流れます。流し芸人の芸と心が描かれた音楽だと言えるでしょう。
第4曲:佞武多(ねぶた)
伊福部が大学時代に友人と訪れた青森・大鰐町で見たねぷた祭の印象が描かれています。
(因みに大鰐町では「ねぷた」、青森市では「ねぶた」といいます。伊福部は坂上田村麻呂の蝦夷討伐武勇のエピソードもかみ合わせて武(ぶ)という字をあてて「佞武多(ねぶた)」としています。)
遠くから灯のともされたねぷた(灯籠)が近づき、勇壮な行列となっていく様が描かれています。しかしどんなに盛り上がっても哀しさを伴っているのは、灯籠流しから変化してきた行事ゆえの定めなのでしょうか?
祖先の霊に思いを馳せるお盆行事が盛り込まれた日本組曲。この曲を伊福部先生が亡くなった年の夏に演奏することが出来ることに何かの縁を感じます。先生の面影、そして日本の古き伝統に思いを馳せて頂ければ幸いです。
初演 1991年9月17日 井上道義指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
サントリー音楽財団による「作曲家の個展」にて サントリー・ホール
(原曲・ピアノ組曲の初演は1938年ヴェネチア国際現代音楽祭でのジーノ・ゴリーニによる)
編成 ピッコロ1 フルート2 アルトフルート1 オーボエ2 コールアングレ1 クラリネット2 バスクラリネット1 ファゴット2 コントラファゴット1 ホルン4 トランペット3 トロンボーン3 チューバ1 ティンパニ トムトム3 コンガ3 キューバン・ティンバレス 吊りシンバル 大太鼓 タムタム チェレスタ ハープ 弦5部
参考文献
木部与巴仁著 「伊福部 昭 音楽家の誕生/タプカーラの彼方へ」(本の風景社)
小林淳著 「日本映画音楽の巨星たち」 (ワイズ出版)