新響響楽団指揮者紹介
1949年10月京都に生まれる。1969年東京芸術大学に入学、山田一雄氏に師事。
1970年第2回民音指揮者コンクール第1位入賞、旧日本フィルハーモ二一交響楽団に指揮研究員として人団。1972年7月、新日本フィルハーモニー交響楽団創立に際し、指揮者として参加。同年l0月ベルリンのホッホシユーレに入学、ラーベンシュタイン教授にオペラ指揮法を師事した。1973年夏、ポストンのタングルウッド音楽祭に参加。
1973年11月には、第3回カラヤン国際指揮者コンクールに第1位入賞、その後ペルリン・フィルを指揮してベルリン・デビユーを飾った。1975年l月、新日本フィルの音楽監督に就任。同年3月には、ベルリン・フィルの定期演奏会に出演し、好評を博した。その後、ウィーン、パリ、イタリア、西ドイツの各地をまわり期待に応えた。
1976年1月には、パリのフランス国立放響でルービンシユタイン、ロストロポーヴィチと共演し、絶讃を博した。1979年12月に海外での活動をより充実させるために新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を辞任。
その後ベルリンに居をかまえ、ミュンヘン・フィル、バイエルン放響、フィルハーモニカ・フンガリカ、西ドイツ・フィル、その他、ヨーロッパ各地において精力的な指揮活動を行う。また、アメリカにおいても、1978年ラヴィニア音楽祭でシカゴ交響楽団を指揮し大成功を収め、早速1980年3月のシカゴ交響楽団定期に登場、注目を集めた。その他、ポストン、デトロイト、シンシナティ、トロント、モントリオールなどにも客演している。
1983/84年シーズンから1988/89年シーズンまでカナダのウィニペグ交響楽団の音楽監督、1986年より1989年まで東京都交響楽団の指揮者を務めた。ロンドンのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団には1988年より定期的に招かれ、コンサートとレコーディングを行い、チャイコフスキーの交響曲第4、5、6番のディスクを完成させた。
1989年からは活動の中心を日本に移し、同年4月より九州交響楽団の首席指揮者に就任。1996年3月までその任を務めた。1995年4月より東京都交響楽団の首席指揮者に就任。
新響とは147同演奏会(マーラー交響曲第7番)以来、4回目の共演となる。
第152回演奏会パンフレットより