維持会ニュース団員紹介コーナー(1997.12月号)より


光野 篤

1.氏名、2.パート、3.生年月日、4.入団して何年?、5.出身、6.職業・普段の顔、7.使用楽器、8.好きな曲・好きな演奏家、9.印象に残る新響の演奏・演奏会、10.新響に一言、11.維持会員の皆様に一言

 チェロを弾いている光野篤(みつのあつし)です。
 福岡生まれの盛岡育ちで、学生時代からはずっと東京です。
 新響入団は、昭和46年の大学4年生のとき。学生オケよりレベルが高くて面白いからとダマされて連れてこられたのがきっかけです。就職も東京の音楽生活から離れなくて済むことを第一条件にNECを選択したおかげで、その後もう四半世紀も新響と共に歩んできたことになります。
 私に音楽的財産があるとすれば、それはチェロやアンサンブルの良い師や仲間に恵まれ長く勉強を続けられたこと、そして新響では優れた指揮者や仲間に巡り会え、良い演奏体験を積み重ねることが出来た、ということでしょうか。
 チェロの師は昨年亡くなられた桐朋の名誉教授だった井上頼豊先生で、足掛け20年もお世話になりました。長く続けられたのはプロとかアマとかの枠に囚われず一人の演奏人として厳しくご指導していただけたからとも言えます。井上先生以外にもシャフランやギョリュギュアンなどといった大家のレッスンも受けることができ、それはまた、別の次元で音楽的に大きなインテンションを得る貴重な体験でした。また、アンサンブルの面ではピアニストと組んで岩崎淑先生の所へ通ったり、それが縁で我が国の一流アンサンブルプレーヤーの登竜門のようになっている沖縄ムーンビーチの室内楽キャンプにも参加しています。
 新響との長い付き合いの中では、入団最初の演奏会のシェラザードの新鮮さ(ソロVn都河さん)、サントリー音楽賞受賞に続いて、それまで殆ど芥川先生一辺倒だった新響の演奏会がこれを機に色々な指揮者が登場するようになったこと、その後毎年の邦人作品演奏会や、山田一雄先生を迎えてのマーラーシリーズの完結と皆勤者に山田先生直筆の色紙を頂いたこと、初めて原田幸一郎先生をお迎えしたときのドヴォコン(ソロVc毛利先生)の衝撃性、マーラー復活での小林研一郎先生との再会、最近では飯守先生をお迎えしてのワルキューレの成功などが特に印象に残ります。
 私にとって仕事と音楽は人生の大きな2本の柱です。稼ぎの有る無しに関係なく精神的には常に両者は対等です。お互いの領域が干渉せず、切り替えがうまくいったがゆえにずっと続けられたとも言えます。
 また、以前から体を動かすことが好きでスポーツもよくやってきたのですが、ここ10年ほど、以前やっていたテニスにまたチャレンジしています。実力のほどは、市民大会などの中級レベルのトーナメントでメダルが取れる程度ですが、団内のオーボエ桜井社長との名?勝負も、テニスクラブのオバサンたちをうならせたものです。
オーケストラはメンバーそれぞれの団や音楽に対する考え方や接し方が異なるが故に、それをどう集合体としてまとめていくかという面白さと難しさがあると思います。団の基礎を作り強力なリーダーシップで我々を引っ張っていただいた芥川先生のお亡くなりになった後、更に新しい可能性を求めてここまでやって来たわけですが、これからも一歩間違えば迷走状態に陥る危険性も十分はらんでいるように思います。日ごろからご支援いただいている方々に感謝の気持ちを忘れず、今後とも厳しくまた暖かい目で私たちを見守っていて頂ければとおねがいする次第です。


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