HOME | E-MAIL | ENGLISH

第229回演奏会のご案内

■時代に翻弄された2人の作曲家
 今回の演奏会では、戦時中に活躍した作曲家橋本國彦と、同じ頃ソヴィエトの国民的作曲家であったショスタコーヴィチの作品を演奏します。東京音楽学校の作曲科教授として時局に応じた音楽を作曲せざるを得なかった橋本と、スターリンの元で体制が求める音楽を書くことを求められたショスタコーヴィチ。2人の天才音楽家は、国は異なれども同じような境遇だったかもしれません。その2人が束縛から解放され、自らを取戻して書いた曲をプログラミングしました。
 1996年の新交響楽団創立40周年記念「日本の交響作品展」のメインプログラムに据えたのが橋本の交響曲第1番でした。「皇紀2600年」(昭和15年)記念のための曲で戦時色の濃いものでしたが、魅力的で心に残る傑作でしたので、いつか第2番も取り上げたいという思いがありました。


■橋本國彦 交響曲第2番~平和への願い
 橋本國彦(1904-49)は、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に当時作曲科がなくヴァイオリン専攻で入学、1937-39年に欧米に留学し特にウィーンで作曲を学びました。帰国後は母校の作曲科教授となり、諸団体の要請に応じて「時局音楽」を数多く作曲しました。橋本自身は政治色の強い人ではありませんでしたが、官学の作曲科主任教授としての役割をはたす必要がありました。終戦後に戦争協力の責任を取り辞職、間もなく胃癌のために世を去ります。
 交響曲第2番は、新憲法制定を祝う祝賀会のために委嘱され1947年に作曲・初演されましたが、構想は戦時中からあったようです。歌曲を得意とした橋本らしく美しい旋律に溢れた叙情的な曲で、自筆譜には副題に「平和の鐘」と書かれた跡があり、最後に鐘が希望に満ちて鳴り響きます。


■ショスタコーヴィチ 交響曲第10番~自由への突破口
 ショスタコーヴィチ(1906-75)は元々前衛的な曲を書いていましたが、粛清を恐れて交響曲第4番を封印し第5番からは社会主義リアリズムに転ずるも、第9番が短く軽妙だったためスターリンに激怒され、プロパガンダ的な作品を作り当局にある意味「迎合」していました。
 交響曲第10番は、1953年にスターリンが死んだ直後に発表され、第9番の作曲から8年も経過していました。15曲ある彼の交響曲の中で最も美しい曲と言われており、人間的な感情と情熱を描きたかったと作曲者自身が述べていますが、自分のイニシャル(DSCH)音型や「スターリンの肖像」など、いろいろな意味が込められているようです。
 祝典序曲は、交響曲第10番の作られた翌年の革命記念日のために委嘱されました。明るく快活な元気の出る曲で、最後は金管楽器のバンダが加わり華やかに幕を閉じます。記念というよりは、むしろ「スターリンからの解放」を喜んでいたのかもしれません。
 どうぞお楽しみに!(H.O.)

このぺージのトップへ