2001年12月維持会ニュースより
ヤナーチェクとモラヴィア
名倉 由起司(ヴァイオリン)
ヤナーチェクは1854年7月3日、モラヴィア北東部ラシュスコ地方のフクヴァルディに生まれ、1928年8月12日にモラフスカー・オストラヴァで没した。
彼の父は地元の校長であり、一族からは教師と音楽家が多く出ていた。11歳でブルノの教会の聖歌隊学校に通い、20歳の時には貧乏であったがプラハのオルガン学校で学んでいる。ライプツィヒとウィーンの音楽学校へも行ったがまもなくブルノに戻り町にオルガン学校を創設した。またモラヴィアの民俗音楽に興味を持ち、民謡の収集をした。
ヤナーチェクは生涯にわたってロシア文学にも興味を持っていた。第一次大戦での反オーストリア=ドイツ、親ロシア感情から「タラス・ブーリバ」を書いた。曲はブルノにおいてフランティシェク・ノイマンの指揮で 1921年10月9日に初演された。
ところで皆さんはモラヴィアって知っていますか。かなりヨーロッパ通の方でもピンと来ないのではないでしょうか。位置的にはウィーンのほぼ真北、ちょっと前にチェコスロヴァキアと言われていた国のちょうど真中にあたります。現在はチェコ共和国に属していて、西がボヘミア、東がモラヴィア、さらに別の国家となったスロヴァキアという順番で並んでいます。中心都市はブルノ。モラバ川の流域に広がる地方です。もとのチェコスロヴァキアの国旗は赤白青の三色でしたが、白がモラヴィアを表していました。
さて、モラヴィア生まれの有名人というと今回演奏するヤナーチェクのほかには、ムハがいます。「え、ムハって誰?」ですか。パリに出て活躍したアルフォンス・ミュシャの現地音読みです。アール・ヌーヴォーのポスター画家として有名です。サラ・ベルナールの「ハムレット」のためのポスターなどはごらんになった方も多いのではないでしょうか。
さて本題の音楽に関してですが、ヤナーチェクはほぼ終生モラヴィアを離れることはありませんでした。音楽語法もきわめて独特です。東洋人である我々の耳にもなつかしい余韻を残す五音音階(ペンタトニック)の響き、長調とも短調ともつかない旋律。さらに外国人にはわかりませんが、旋律線はモラヴィアの方言を模しているのだそうです。 チェコとスロヴァキアは特に内戦などの対立を経て分離したわけでもなく、さらにそのチェコの一部がモラヴィアであるのですから、遠く離れた日本人にはモラヴィア方言の調べを感じるのは無理でしょう。
チェコの首都プラハはモーツァルトがしばしば訪れ、作品の初演が行なわれたこともあり、ドイツの影響のある都会でした。それにくらべモラヴィア、スロヴァキアは地方であり、その分、農民文化とも呼べる素朴さを今に伝えています。
チェコの料理はクネドリーキという小麦粉を練ったものにパンの角切りをくわえて団子上にしたもの。酢漬けキャベツを添えて食べます。ハンガリー料理として有名なグラーシュはチェコでも多少の違いはあれ、広く食べられます。ウィーンでもレストランなどで食べることができます。パプリカを入れたビーフシチューといったところでしょうか。クリスマスには鯉料理。肉食が禁じられるため、アパートの浴槽に生きたまま鯉を泳がせておき、一種の精進料理として食べるのです。
飲み物はビール。ビルスナーはもともとチェコのビールです。チェコ名プルゼニ(ピルゼンビールとして知られています)。驚くなかれバドワイザー(ブドヴァル)も実はチェコ生まれ。モラヴィアではワイン作りも盛んです。
観光にはヨーロッパ一美しいと言われる古都プラハだけではありません。有数の温泉もあります。代表的なのはカールスバートでチェコの温泉保養地カルロビ・バリのドイツ語名です。
工芸品はガラスが有名。ボヘミアン・カットのグラスは特に知られています。
文学はなんといってもフランツ・カフカでしょう。不条理で非人間的な世界を「変身」では遺憾なく描いています。「兵士シュヴェイクの冒険」のヤロスラフ・ハシェクも同年生まれのチェコ人作家です。SF小説を服務多彩な作品を残したカレル・チャペック。現代作家はミラン・クンデラ。前者は「山椒魚戦争」後者は「存在の耐えられない軽さ」が代表作。ピストルとロボットはチェコ語から世界に広がった言葉です。ロボットはラボラトリにも通じる言葉で「働くもの」を意味します。
「カッコーの巣の上で」「アマデウス」などで知られるミロシュ・フォアマン監督もチェコ生まれ。人形劇なども盛んでチェコはまさに芸術の宝庫といった感じです。
ヤナーチェクがゴーゴリの中篇「隊長ブーリバ」に共感を覚えたのは、中欧においては無視することのできない宗教や民族の対立があったように思えます。チェコでは三十年戦争の初期、ビーラー・ホラ(白山)の戦いで、ボヘミア・モラヴィア・シレジアを主勢力とするチェコ諸領邦がハプスブルク家に敗れたため、貴族階級が追放され、ボヘミアのカトリック化、ドイツ化が起こりプロテスタント勢力が一掃されました。タラス・ブーリバに描かれているのもカトリック・ポーランドとギリシャ正教ウクライナとの戦いです。ヤナーチェクにとって、長年他国の支配下に置かれ独自の文化を形成したポーランドより、物語の舞台となるウクライナの方が同じ西スラブのルテニア人の国として近しいものに感じたのかもしれません。武人で無骨ともいえるコサックの隊長が2人の息子を失い、自らも火刑に処せられようというまさにその時吐いた「ロシア正教の信仰がどんなものか見せてやる」という言葉が作曲の動機となったようです。
今回「タラス・ブーリバ」を聞いてヤナーチェク音楽に興味を持った方はぜひ彼の創作の中心である9つのオペラを聞いてみてください。政治、SF、自然と輪廻など個々に全く異なった素材を扱ったヤナーチェクのオペラは恋と復讐とメロドラマに食傷気味の方には新鮮な印象を持って迎えられると思います。
月旅行と過去への旅行を描いた「ブロウチェク氏の旅行」、森番を狂言回しとして、母狐と子狐そして様々な動物たちを描き、自然の無常さまでも表現した「利口な女狐の物語」。現実と非現実とを重ね合わせながら人生への警告と風刺をうまく表現しています。
駆け足でしたが、チェコの幅広い文化の一端を感じていただけたらこれに優る喜びはありません。