2002年3月維持会ニュースより
菅原先生の思い出
加藤のぞみ(Vn)
1981年の邦人作品展で新響は、菅原明朗先生の作品を取り上げることになった。理由の一つには、菅原先生の「明石海峡」という初期の作品がとても有名であるにもかかわらず、演奏される機会が無い『幻の名曲』となっていたので、それを再演したい、ということがあった。
実際に練習が始まると、高齢にもかかわらず、先生は何度も練習場にお見えになりじっと練習を聴いていらっしゃった。丁度先生のお誕生日が練習日と重なっていることがわかった。その日、練習中休憩の後に先生の前にケーキを出し、芥川先生のリードで皆『ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー』を歌い出した。先生は少年のようにほっぺた一杯に息を吸い込み、フーッと蝋燭を消された。はにかみながら「こんなことは何年ぶりだろうねぇ」とおっしゃり、「これも良いの?」とプレゼントの山を嬉しそうにご覧になった。プレゼントは団員同士で相談し、高価な物、大きい物、重い物は無しということで有志が思いおもいの物を持ち寄ったものだった。
先生は何をなさってもエレガントでやわらかな感じだった。本番では、アンコールの『ファンタジア』を先生に指揮していただいた。先生の指揮はその柔らかな手が空中に漂うようで、今にも停まってしまうのではないかと怖くなるほどだったが、実際には透明な柔らかな響きにホール全体が充たされていったのだった。
今回演奏するバッハのアレンジはこの時の演奏会のお礼として新響に届けてくださったものだ。「アマチュアの皆さんが、お一人で練習されても楽しいようにという事も考えてアレンジしました。」とおっしゃっておられたのが印象に残った。パート譜が直筆なので見づらいところもあり、音が違っているのではないかと団員が尋ねると、静かに「書いてある通りです。」といわれた時には、確固たる一面を感じさせられた。
私達のためにアレンジされたバッハを、私達のために書かれた譜面で演奏出来るのだ。先生の透明で柔らかな響きでホールを充たしたいと思う。