2002年9月維持会ニュースより


シベリウスと祖国フィンランド

 上脇 奏子(Ob)

 シベリウスは祖国フィンランドを愛した作曲家として知られています。彼の作品の多くは、祖国フィンランドに古くから伝わる伝承叙事詩『カレワラ』に基づくものが多く、また、交響詩『フィンランディア』がフィンランドの独立を求める人々に強い勇気を与えたという話も有名ですね。シベリウスが愛した祖国とはどんな国だったのでしょうか。

■フィンランドといえば・・・
 身近なものでは、ムーミンやサンタクロース、サウナに白夜、ログハウスにトナカイというイメージがあります。スポーツではノルディックスキーやアイスホッケー、有名人ではF1トップレーサーのミカ・ハッキネン選手やLinuxの初期開発者、リーナス・トーバルズ氏など。世界有数のIT企業ノキア社もそうですし、ガムなどに使われるキシリトールもフィンランド産ですね。
 しかし、フィンランドの歴史についてはあまり知られていないかもしれません。国土の7割を森林に覆われ、15万とも20万とも言われる数多くの湖を持つ豊かな自然の国、フィンランドは、随分長い間、歴史の表舞台に現れてきませんでした。

■フィンランドの歴史概観
 フィンランドはその昔・・・遡って旧石器時代まで・・・氷河に覆われていました。氷河が消えたあと、そこに住むようになったのは、まだ陸続きだったイギリス地方からノルウェー沿岸を経てフィンランド北部まで移動した民族や、東欧方面から移動した民族だと言われています。
 フィンランド人は長い間国家をつくらず、部族に分かれて生活をしていました。12世紀に入り、隣国のスウェーデン王国に侵入され、スウェーデン領となりましたが、このときスウェーデンは、政治だけでなく、言葉の面からもフィンランド全体を支配しました。
 しかし、その後600年の間にスウェーデンの国力は衰え、1808〜1809年の戦争でロシアに敗北、フィンランドを割譲します。フィンランドを併合したロシアは、フィンランドを、自治権を持つ大公国とし、比較的緩やかな統治を始めました。1863年には、スウェーデン時代には公用語として認められていなかったフィンランド語の、公の場での使用が認められています。スウェーデン風ではないフィンランド文化が発達し、フィンランドが国家としての形態を事実上整えたのは、この時代のことと言えるのです。また、シベリウスが生まれたのも1865年、ちょうどこの頃でした。
 さて、ロシアは当初、緩やかな統治を行いましたが、その後、大公アレクサンドル3世(1881-1894)やニコライ2世(1894-1917)の治世になって、ロシア民族主義が台頭し、フィンランドをロシア化しようとする試みが行われます。当然のことながらフィンランドの人々はこれに対抗し、愛国独立運動が高まりました。
 そんな中ロシアで革命が起こり、その混乱のさなかの1917年12月6日、フィンランドは独立を宣言。国内の急進左派を抑えて1919年に完全な独立国となりました。これはフィンランドの歴史始まって依頼、初めてのことでした。
しかしその後、第二次大戦中に旧ソ連邦と二度にわたる戦争をし、戦後は国の独立を守る代わりに東部のカレリア地方を奪われたうえ、敗戦国として多額の賠償を課せられるという苦しい体験をしました。
 戦後のフィンランドでは、社会保障制度が充実し、機能的な家具などの工業美術製品や伝統を生かした建築が発達しました。また、特に最近では通信産業において世界レベルの人や企業を輩出しています。

■シベリウスと祖国フィンランド
 ロシアからの独立運動が盛んだった頃、その活動のひとつとして行われたのが、新聞業界人による民族的歴史劇『歴史的情景』の上演です(1899)。この催しでは、叙事詩『カレワラ』からの情景が演じられました。『カレワラ』というのは、ロシアによる併合後まもなく収集・編纂されたフィンランドに古くから伝わる民間の伝承叙事詩で、この出版によってフィンランドの人々の民族意識が高揚させられたといわれています。
 さて、ここで演奏される音楽を作曲したのが、シベリウスです。シベリウスはこの頃までに『カレワラ』に基づく大作『クッレルヴォ交響曲』を祖国で発表し大成功を収め、また、『カレリア』組曲のもととなる楽曲を作曲するなど、民族的題材による創作を経験していました。1899年の『歴史的情景』の上演では、6つの情景に合わせた音楽をそれぞれ作曲しましたが、最終場面<フィンランドの目覚め>のための音楽が、後に交響詩『フィンランディア』として改作され、独立して演奏されるようになったのです。
 ところで、シベリウスはもともと上流階級の多いスウェーデン語系の家庭に生まれました。ロシアからの独立に最も熱心だったのは、フィンランドの中でもスウェーデン語系の人々だったそうですが、そうは言っても、スウェーデン系のシベリウスが、どうしてここまでフィンランド・・・特にフィンランド語族の文化・・・にこだわる作曲をしたのでしょうか。
 シベリウスが民族的な題材に興味を持ったきっかけは、同じくフィンランドの作曲者/指揮者のカヤヌス(1856〜1933)が『カレワラ』に因んだ作品『アイノ交響曲』をベルリンフィルに客演して演奏したのを聞き(1889年)、インスピレーションを得たことでした。しかし、この他の要因として、妻のアイノの存在もあったようです。
 シベリウスは、26歳のとき(1892年)にフィンランド屈指の名将軍の娘、アイノ・ヤルネフェルトと結婚しました。アイノの家がフィンランド語系だったため、シベリウスはアイノとの交際期間中よりフィンランド語やその文化に強い関心をもち、『カレワラ』を熱心に読んだそうです。また、新婚旅行にはフィンランド東部のカレリアを訪ね、フィンランドの伝承芸術やその文化を育んできた人々に触れ、その後の創作活動の源泉としました。
 今でもシベリウスはフィンランドの国民的英雄とされています。しかし、彼が祖国フィンランドを思う気持ちには、長年祖国を支配してきたスウェーデンやロシアに対抗する愛国心とは別に、妻アイノを理解しようとすることから生まれた祖国への独自の関心・感情もあったのではないでしょうか。残念ながら、シベリウスが愛妻家だったどうかについては、調べた限りにおいて何の記述もありませんでしたが、そう考えるとまた別な『フィンランディア』の響きが聞こえてくるような気もします。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。Kiitos!(キートス:フィンランド語でありがとうの意。)



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