2002年12月維持会ニュースより
「ベルリオーズとチューバ」<オフィクレイドって何だ?>
土田 恭四郎(Tub)
ベルリオーズの「幻想交響曲」は、西洋音楽史上、その様式と表現の多様性、当時としては異例の大規模で独創的な楽器法と編成、劇的且つ大胆な構成ゆえ「革新的」といわれている。驚くべきことに、ベートーヴェンの第9交響曲が初演されたのが1824年、3年後の1827年にはベートーヴェンが没し、更に3年後の1830年には「幻想交響曲」が作曲・初演(ベルリオーズ27歳!)という事実。ベルリオーズが1828年以降パリで当時はバリバリの前衛音楽であったベートーヴェンの交響曲の初演を経験したことから直接の影響を受け、ベートーヴェン没後わずか3年でこの曲を書き上げて当時のパリを熱狂させたというほどの革新性である。
ナポレオン戦争の前と後での社会構造の変化の中、金管楽器にとっても、この時代はバルブ装置の開発と普及もあって多様性という面で過渡期であり、加速的な進歩と発展の中、新旧のスタイルが混在した混沌の中から、現代の金管楽器の発展に繋がる夜明けの時代だった。
例えとしては突然飛躍するが、生物の進化において、その多様性は地質時間の経過とともに次第に増大してきたのではなく、実はいわゆる古生代のカンブリア紀(約5.5億年前)に生物界の爆発的な多様化、すなわちカンブリア紀爆発「カンブリアン・エクスプロージョン」が起こり、多数な系統の一部だけが生き残って後の動物分類群の祖先となった、という説がある。(カナディアン・ロッキーのバージェス頁岩に代表される生命大発展の証拠化石が有名。)当時の管弦楽法や楽器の多様性の中にいわゆる「カンブリアン・エクスプロージョン」のような現象があったと個人的には勝手に思っている。現代の我々の感覚から、なんだこりゃ?と思わせる楽器が博物館や資料で観ることができ、当時の作品を通して、なぜ?というオーケストレーションが散見されるわけだ。きっと日の目を見ずに埋もれてしまった楽器や資料が多いに違いない。
幻想交響曲のオーケストレーションを金管群で見ると、ハンドテクニックを受け継いだストップ音に注意深くこだわっているホルン、古いスタイルのバルブの無いトランペットと当時最新式のバルブのついたコルネットの同時使用、また古い細管のトロンボーンと当時の代表的な低音金管楽器のオフィクレイドを一緒に使用しているのが興味深い。現代の楽器と違ってさぞ多彩な音が響いていたと思われる。因みに、木管楽器ではパリのオーケストラでは通常バス−ンを倍管にしていたので、幻想交響曲では4本のためにパートが書かれている。(何故バス−ンが他の木管楽器と違って倍管なのかは、お近くのファゴット奏者に聞いてみていただきたい。さぞ興味深い話が聴けるものと思われる。)
さて、オフィクレイドなる楽器はどのような楽器なのだろうか。少なくとも現代のチューバの先祖というよりは全く違う種類の異なった楽器である。いわゆる金属製で唇を振動させて音を出す金管楽器ではあるが、円錐管のあちらこちらに穴が開いていて、キーシステムを使って開閉し音程を作る、いわゆるバリトンサックスとファゴットを融合したような姿で、トロンボーンのものと同じくらいの金属製のマウスピースが歌口についている。音域は、現代のチューバと比較して高い音の方に音域が広がっており、どちらかというとチューバよりユーフォニウムの音域と同じ、といった方がいいかもしれない。文献によると1817年にパリの楽器製造家アラリーによってキー付きビューグルをヒントに製作されたとのこと。そしてわずかな期間に多くの改良がなされ、キーも増加、大きさもテナーからコントラバスまで広がっていろいろ製作されている。また、バルブが取り付けられたりもしていた。因みに、ビューグルは狩猟ホルンから派生した楽器で管も太く従って音量もでかい、ナポレオン戦争の時に現在のトランペットのような巻き方が生まれ、それに1810年イギリスのハリデーによってキーがつけられたという。
それまで、金管の低音楽器としてはセルパンという1590年にフランスの僧会議員であったギョームによって制作された木製で蛇状をした大型のコルネットが受け持っていた。木製なのに金管楽器とはこれいかに?と思うが、唇を振動させて音を出す楽器ということで広義の金管楽器といえよう。主としてフランスとイタリアを中心に教会で使用されており、約2mもの大きさで二重のS字形(文字通り蛇の形で楽器名も蛇の意味)、それに40cmくらいの細い管を付け、その先に鹿の角や象牙などで作ったカップ型のマウスピース、胴体には6つの穴があり、その穴を操作することで音を変化させた。その後穴も多くなり、キーもつけられ、軍楽隊にも採用されて長い間低音金管楽器の一部として重要な存在であった。しかし機能の進歩とともに欠点も現れ、ベルリオーズの時代には廃れていったのである。
オフィクレイドは、フランスとイギリスで定着し長らく用い続けられた。スポンティーニはオペラ「オリンピア」1819年パリ初演でステージバンドに使用、1826年に作曲されたメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲にもソロとして活躍、パリを中心にグランドオペラで大成功をおさめていたマイアベーアの作品にも多く使用されている。そのような状況の中、ベルリオーズは、高音の管楽器に対抗するため複数のオフィクレイドを使用している。面白いことにセルパンとオフィクレイドは共存していた時期があったので、ベルリオーズの幻想交響曲は低音部にセルパンが、高音部にオフィクレイドが当初は指定されていたらしい。歌劇「ベンヴェヌート・チェリーニ」序曲では、なんと3番トロンボーンのオクターブ上にユニゾンでオフィクレイドが書かれている。因みに荘厳ミサ曲ではオフィスクレイドとセルパン、大ミサ曲では大きなピストン付きオフィクレイドが指定されている。オフィクレイドやセルパンが姿を消した現在、これらのパートは全てチューバで(しかたなく)演奏しているが、やはり本来作曲者が意図したものとは違った効果になってしまっていることは否めない。
ところでベルリオーズの時代、現在のチューバとの係わりはどうだったのだろうか?ベルリオーズは、始めてチューバの価値に気づいた作曲家の1人である事は間違いない。1843年に彼がドイツを訪れた際、1835年ベルリン生まれの新しいチューバという楽器を知り、後に全ての曲を書き改めている。ここで注意が必要なのは、彼が見たチューバは現代のチューバと基本構造は同じだが、とにかく管が細くてベルも小さかったということである。当然現代のチューバが持つド派手な音とは音色も音量も違うわけで、もっと素朴な音であったことを認識しなければならない。ベルリオーズが始めてチューバを指定したのは、1846年「ファウストの劫罰」で、当初オフィクレイドを2本指定しているが、そのうちの1つはチューバを兼ねることが可能だった。特にハンガリー行進曲(ラコッツィマーチ)は、両者はユニゾンあるいはオクターブで書かれている。このように低音域が弱くならないようにオクターブユニゾンで重ねることを指示していることから、フランスではチューバと言うとオフィクレイドにピストンバルブがついたタイプと考えられ、キー付きとピストン付き両方をさすようになったらしい。フランスではいわゆる現代のチューバに繋がる楽器はほとんど使用されず、パリオペラ座では1874年に4バルブのC管チューバが導入されるまでキー付きオフィクレイドが使用されていた。当時はフランスを中心に大活躍したオフィクレイドだが、ドイツを中心に現在のスタイルの大型チューバが製作されスタンダードとして定着するに及んでオフィクレイドは姿を消していった。オフィクレイドと比較してチューバの方が音量も大きく低音域の演奏が可能だったし、ワグナーの影響もあるのだろう。(筆者が以前の維持会ニュースに寄稿した「ファウスト」序曲<チューバ吹きの独り言>を参照されたい。)
ところで、フランスでは長らくこのオフィクレイドの影響が大きかったと思われる。というのはフランス人の乃至はフランスで活躍した作曲家は他の国の作曲家と比較して、チューバのパートにしばしば高い音を要求しているのも事実である。すなわちフランスのチューバは他の国とは違う独自のスタイル、いわゆるフレンチチューバとして小型化の方向に定着していった。因みにドイツではチューバが大きくなり、小型のものはテナーチューバ、大きいものはバスチューバあるいはコントラバスチューバと呼ばれるようになっていったのとは対照的である。このフレンチチューバのピッチは何と現代のユーフォニウムより1音高いC管であり、ピストンバルブが6つ、小さい楽器だが音域が4オクターブと広く、その軽い音は欠点ではなかった。フランス印象派の作曲家は木管と金管の音の違いを緻密に計算し、金管はドイツの物より細い管の楽器を使用、チューバもそれにあわせたブリリアントな音色が求められた。このような違いはドビュッシーとブルックナーの金管の使い方を観るとわかりやすい。ドビュッシー以外に、プーランク、ストラヴィンスキーの初期3大バレエ作品等あるが、代表的な作品として、ラヴェル編曲ムソルグスキー作曲「展覧会の絵」の中で「ヴィドロ」のソロが有名で馴染みがある。(現在ではこのソロをユーフォニウムで演奏することが多いが、筆者はチューバでの演奏にこだわりを持っている。)このように低音金管楽器もいろいろな方向から作られ、各国ごとに伝統とその国の音楽性からさまざまな形と大きさが決まっていったが、現代は奏者の交流と楽器のボーダレス化が進み、チューバもその時々の流行に左右され各国独自の伝統が薄らいでいることも事実で、フレンチチューバもめったに観る機会がなくなってきている。(ウィーンフィルで永年伝統的に使用されてきたウィンナ−チューバも然り。)
さて、今や前世紀の遺物のようなオフィクレイドだが、昨今のビリオド楽器による古楽器ブームを経て、作曲者と同時代の楽器を使用して当時の演奏スタイルを再現したCDがいろいろと発売されたことを契機に、この楽器を目にする機会が増加、再認識されているようだ。昨年、筆者は偶然この楽器を試奏するという貴重な経験をした。いやなかなかどうしてオツな楽器、素朴だがフォルティシモで吹くと荒々しく、さぞ幻想交響曲第5楽章の有名な部分、Dies
irae(怒りの日)を演奏したら、チューバ2本でバランスに気を使いながらビクビクして演奏するのとは違って思い切って力強く吹くことができる、きっと作曲者のイメージに近い音色が得られるに違いない、と感心した。ベルリオーズが現代のあのばかでかいチューバ(筆者の楽器は小さい方だ!)を知っていたら1本にして違うアレンジを書いていたに違いない。しかしながら、オーケストラの他のメンバーが当時の楽器を使用するのであるならばいざ知らず、現代の楽器を使用しての音量と響きの中では、オフィクレイドを使用してもバランスの面で難しいと思われる。現代のファゴットが4本目の前に並んでいるとそれだけで負けてしまいそうだ。また、演奏してみて困ったのは、キーの操作が現代の木管楽器のシステムとは逆で、キーを押すと穴が塞がれるのではなく、キーを押すと穴が開く、という今まで慣れてきた感覚とは逆、ということである。
仕方が無いとはいえ、オフィクレイドのパートをチューバで演奏することにいささか不安と緊張を持っている筆者としては、ここは開き直り、作曲者の意図を理解した上で現代のチューバの持っている可能性と魅力を最大限に生かして音楽を表現することが全てである。今年の夏、縁あって金管アンサンブルのメンバーとしてフランスの片田舎に滞在したが、小さな村のロマネスク様式の古い教会で演奏会をしたとき、石造りの薄暗い堂内の柱の上に、特異な顔をした人物か動物かよくわからない浮き彫りが、下からのライトで照らされているところなぞを見ていると、思わず厳粛なグレゴリオ聖歌のメロディDies
irae(怒りの日)がチューバの音で脳裏を横切り「暗黒の中世」と自分勝手に呟いて身震いしたことを思い出す。ベルリオーズがこの有名なグレゴリオ聖歌を採用したのは、カトリックが盛んなフランス社会の深層部分に中世の教会音楽が密接に繋がっており、幻想交響曲の5楽章を聴いて観客が何らかのイメージを即座に理解できるに違いない。チューバとファゴット、そして鐘でこの部分を表現するのが楽しみだ。
ところで、バリトンサックスやテナーサックスにトロンボーンのマウスピースをむりやりつけて吹いてみるとオフィクレイドに近い音がする。試してみるのも一興かも知れない。