2003年3月維持会ニュースより
役人が語る『中国の不思議な役人』
倉田 京弥(Tp)
♪「中国の不思議な役人」との出会い
私がバルトークの「中国の不思議な役人」と出会ったのは、私がまだ純真無垢な高校生の頃でした。私はクラブ活動の吹奏楽にどっぷりとのめり込んでいて、少しでも良い演奏、印象の強い演奏をしようと、文字通り朝から晩まで学校の裏手の古びた合奏室で練習したものでした。その頃は、美しい旋律や心地よいハーモニーよりも、激しく劇的な曲を求めて、バルトークやストラヴィンスキーの作品を聴き漁ったものでした。
そんな時に出会った「中国の不思議な役人」は衝撃的でした。冒頭から登場する強烈なリズム、激しい変拍子、艶かしい木管の旋律、そして怪しいトロンボーンの主題。どれを取っても高校生の私たちにとっては度肝を抜く強烈な曲でした。
♪バルトーク自身が語るストーリー
バルトークは、インタビューの中でこの曲のストーリーを次のように語っています。
『三人の無頼漢がある娘を使って、道を通る男たちを誘惑させて家の中に連れ込んでは、その男たちを丸裸にする商売をやっています。そこに一人の中国の金持ちが同じように引っかかって入ってくるが、少女の踊りを見ているうちに本当の愛に目覚める。一方少女はその異邦人の心の変換に恐れを感じるのみ。三人の無頼漢はその間に男の持ち物を奪い、枕の下に押し潰したり、剣で刺し殺そうとするが、ふしぎなマンダリンはいつも息を吹き返す。とうとう機転をきかせた少女がその身体を許したとたん、希望のみたされたマンダリンは息を引き取る。』
奇妙な中国人の役人は殴られても蹴られても、剣で刺されても死なず、シャンデリアに首を吊るされても緑色の光を放ちながら少女を抱くことに執着するというホラー映画ばりのストーリー展開。当初は評論家たちも悪趣味な台本として見向きもしませんでした。
♪「ふしぎなマンダリン」とバルトークの運命
ところが、この作品はバルトークの人生と共に数奇な運命をたどります。
バルトークがこの作品を書いた1918年、ハンガリーでは第一次大戦の終わりに革命が起こり、ハンガリー=ソビエト共和国となっていました。バルトークはコダーイらと共に、音楽管理委員会の役員として、国内の作曲家を監督する立場にありましたが、バルトークの政治的主張は当局にとって厄介なもので、彼は要注意人物とされていたのです
。そのために、この作品の初演の機会がある度に、多くの悪意や政治的謀略、中傷によって上演は中止に追い込まれ、バルトークは深く傷つき、愛する祖国の人々の無理解さに大きなショックを受けていったのです。
世界初演となるはずだったケルンでも、上演直前に指揮者が当局に拘束されるという異常な事態により初演は幻となってしまいます。
バルトークは自身も、この作品の奇妙な話の筋から、完全な形で舞台に乗ることはまず無いと考えていたようです。母への手紙の中でも「パントマイムとしての”ふしぎなマンダリン”がいつ上演されるか誰にも分かりません。」と記しています。だからこそ彼は、すぐさま演奏しやすい組曲版に自ら改編したのでしょう。
彼の没後、やっと完全な形で「中国の不思議な役人」は演奏されることになりますが、それでもまだバルトークの当初の構想とは異なる部分もあり、近年になって、息子のペーター・バルトークが校訂した楽譜が出版されました。
今回新響が演奏する楽譜は、このペーター・バルトークによる校訂版で、日本ではまだ数回目の演奏になります。
♪バルトークの旅路
コダーイらとともに、ハンガリー、ルーマニアなどの東欧諸国、果ては北アフリカまで民俗音楽収集の旅を続けたバルトークですが、彼が感じたのは、国を超え時代を超えても存在する強い民族の絆、人を愛する熱い心だったのではないでしょうか。
「中国の不思議な役人」は、何度殺されても再び起き上がって少女を抱こうとする、異常なまでの愛の執着と欲求を持っています。強い愛情と執念は、自然の摂理にすら逆らって自らの思いを成し遂げるまで強く生き続ける、全てを超越した存在である。バルトークの心の内には、そんな思いがあったのかも知れません。
晩年、バルトークは第一次大戦を避けてアメリカに亡命したものの、作品が理解されず、失意の日々を過ごします。そんな時彼はこう語っています。「家に帰りたいのです。最終的に・・・」
誰よりもハンガリーの人々や土地に強い愛情を抱きながらも、政治的に幾度と無く葬り去られ、作品そのものも完全な形では演奏されることなく、やっと辿りついた異国の地では身体を患いながら失意の日々を過ごします。それでもバルトークは祖国へ帰ることを最後まで切望していました。しかし、彼の望みは叶うことなく1945年、ニューヨークで没してしまいます。
彼の死後、残された妻ディッタは一人ハンガリーに戻りました。そしてバルトークが無し得なかったこと。すなわち、彼の音楽を愛する祖国の人々に聴いてもらうということを、彼女が23年間連れ添ったバルトークその人があたかも弾いているかの如きピアノの演奏によって実現しました。
バルトークの愛情はこうして祖国へ帰り、多くの人々の心の内に今もなお生き続けているのです。
◆参考文献
「バルトークの世界」 ベラ・バルトーク著/岩城肇 訳 講談社
「バルトーク物語」 セーケイ・ユーリア著/羽仁協子・大熊進子訳 音楽之友社
「バルトーク管弦楽曲」J.マッケイブ著/石田一志訳 日本楽譜出版社
「ある芸術家の人間像−バルトークの手紙と記録-」羽仁協子訳編 富山房