2004年10月演奏会パンフレットより


新響オール・チャイコフスキー・プロに寄せて               

大塚健夫(ロシア音楽評論)

ロシア人は自国の大作曲家チャイコフスキーを誇りに思っているし、インテリ層の中には尊敬を込めて「ピョートル・イリイチ」と名前・父称というロシア語独特の呼び方をする人も多い。その一方で、日本の我々のような熱狂的なチャイコフスキー・ファン、むせび泣く厚い弦楽器の音にしびれ、咆哮するブラスと共に拳を握り締めて絶叫する(なんて人はいませんか?)思いを熱く語る人はあまりいないように思う。「ピアノ協奏曲第一番」や「悲愴交響曲」は皆知っているが、一定の距離をおいて名曲を楽しんでいるという感じがする。あるロシアの友人に、「弦楽セレナーデ」の冒頭が日本では会社を辞めたい人が駆け込むソリューション企業のテーマ・ミュージックになっていると言ったら、全く理解できないという顔をされた。日本人が感動するチャイコフスキー音楽の魅力について、その共感を語り合えたロシア人というのはあまりいない。

多くのロシア人たちと最も話題にしやすいのは歌劇「エフゲニー・オネーギン」だろう。シーズン中のモスクワやペテルブルグで、二、三日滞在すればどこかの劇場でこの歌劇を鑑賞できる。たとえばモスクワならボリショイ劇場、ダンチェンコ音楽劇場、ノーヴァヤ・オペラ、ヘリコン・オペラなどでそれぞれ独自の演出での「オネーギン」がレパートリーとしてかかっている。ロシア人はなぜかくも「オネーギン」に惹かれるのだろう。このオペラは19世紀前半の国民的大詩人プーシキンの散文詩に基づくが、ロシア人は詩を読み、書き、そして人の前でこれを朗読するのが大好きな国民だ。日本人の殆どが芭蕉の句の二つ三つを空で言えるように、プーシキン詩のいくつか、それもかなり長いくだりを覚えている。あれはやはり文字というよりは響きとしてすっと頭の中に入るからだろう。韻を踏んだロシアの詩は実に音楽的だ。プーシキンの詩、チャイコフスキーの名旋律の組み合わせはまさにロシア人にとっての芸術の至宝といってよい。

プーシキンの散文詩は表題のとおりオネーギンが主役。この男の人生観は次の一節に集約されるだろう。「女性を愛する度合いが少なければ少ないほど、それだけ容易にわれわれは女性に好かれ、それだけ確実に女性を、誘惑の網目のなかで滅ぼすものだ」(池田健太郎訳、岩波文庫1962年)。一方でチャイコフスキーのオペラは題名こそ「オネーギン」を踏襲しているが、中心人物はタチヤーナである。タチヤーナは娘時代にオネーギンに一目惚れしてオネーギンに恋文を届けるが相手にされない。後年公爵夫人となってから、再会したオネーギンに言い寄られ、気高くこれを突き放す女性である。チャイコフスキーの音楽は彼女に捧げられたといってもよく、オペラの題名もカルメンやトスカ同様にヒロインの名前の方がふさわしい気がする。「オネーギン」には決闘の場面や、本日演奏されるポロネーズが鳴り響く舞踏会の場面など、舞台効果が大きいところもあるが、一貫してヒロイン、タチヤーナの心の動きが描写されている。明け方まで悩んでしたためた恋文を届けたオネーギンに、私は家庭の幸福を求めるような男ではないのでと突き放たれ、無垢な彼女は絶望にかられるのだが、音楽は劇的な短調にはならず、遠くで苺を摘む村の娘たちの陽気な合唱が響き続けている。何ともリアルな情景描写だと私はこの場面を聴くたびに思う。また、彼女が嫁いだグレーミン公爵は歳が二回りほどちがう初老の退役名誉軍人で、「恋はあらゆる年齢に勝り・・・」と歌うが、前記のヘリコン・オペラでは彼はずっと車椅子に乗ったまま登場する。友人のロシア人は、あれはタチヤーナの永遠の処女性を象徴しているのだと説明してくれたが、チャイコフスキーもヒロインにそこまで思い入れていたのかもしれない。余談だが、このヘリコン・オペラは99年にショスタコーヴィチの「マクベス夫人」を取り上げたとき、オペラ劇場としては異例の「18才未満お断り」としたきわどい演出で、観客の度肝を抜いた。

9月初めに訪れたロシア極東地方は既に秋の気配だった。はるか地平線をのぞむ大地をゆったりと流れるアムール川(黒龍江)を臨む高台にあるハバロフスクのフィルハーモニー・ホールはこじんまりした美しいホールである。ここを本拠地とするダリネヴォストーチヌィ(極東)・オケのティーツさんの指揮、前回の演奏会で素晴らしいラフマニノフとシベリウスを聴かせてくれた新響の皆さんのコンビネーションを心から楽しみにしています。

(2004年9月)


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