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第217回演奏会のご案内

西洋のなかの東洋
 ドイツで長年活動し現在は日本を代表するマエストロとして幅広い活躍をしている飯守泰次郎を指揮に迎え、東洋が見え隠れするクラシック曲をプログラミングしました。

9番目の交響曲~生は暗く死もまた暗い
 後期ロマン派の作曲家マーラーは、歌劇は残しませんでしたが、多くの歌曲を作り歌劇的な交響曲を書きました。「大地の歌」は歌を愛したマーラーが最後に書いた独唱を伴う交響作品で、研ぎ澄まされた美しい曲です。交響曲として位置付けられていますが連作歌曲としての性格を強く持っています。本来交響曲第9番となる曲でしたが、ベートーヴェンやブルックナーが第9交響曲を書いてこの世を去っていることを意識したマーラーは、番号を与えずに単に「大地の歌」としました。
 この曲の歌詞は、ドイツの詩人ベートゲが李白らの唐詩を自由に翻訳編集した詩集「中国の笛」をマーラー自身が適宜改変したもので、実際の唐詩と一致してはいませんが、共鳴して音楽の拠りどころとしています。マーラーがボヘミアに生まれたユダヤ人であること、この「中国の笛」に出会った1907年に長女を亡くし自らは心疾患の宣告を受け、ウィーン宮廷歌劇場を辞任し渡米するという転機を迎えていたことが、東洋的な無常感や自然への礼賛に共感させたのでしょう。最後は「永遠に、永遠に」と現世に別れを告げます。

交響譚詩~踊りと詩の音楽
 伊福部昭は映画「ゴジラ」の音楽でも知られる作曲家です。新響ではその作品を度々取り上げ大切に演奏をしてきました。1942年に伊福部の次兄が急逝しその追悼曲として作曲されたのが交響譚詩です。譚詩はバラードの日本語訳で、音楽と舞踏が分離せず渾然一体となった状態をさしています。力強く躍動感のある第一譚詩と寂しげな第二譚詩からなるこの曲は2管の小さめの編成で書かれ、ビクター主催の懸賞で第1位となりすぐにレコード化されたこともあり、もっとも頻繁に演奏される代表曲となりました。
 北海道帝国大学で林学を学び森林事務所に勤務していた伊福部が世に出たのは、チェレプニン賞(日本人を対象としたコンクールでパリで審査された)で「日本狂詩曲」が第1位入賞したことがきっかけでした。応募に合わせるためカットされた幻の日本狂詩曲第1楽章「じょんがら舞曲」が、第二譚詩に組み込まれています。ロシアの作曲家チェレプニンは「ナショナルであることこそがインターナショナルである」と指導し、伊福部の民族的な作風の原点となりました。

イベールが日本のために作曲した名曲
 イベールは「寄港地」で知られるフランスの作曲家で、チェレプニン大賞の審査員の一人でもありました。日本政府は1940年の「紀元二千六百年祭」のための祝典音楽を同盟国に依頼し、フランス政府はイベールに作曲を要請しました。神武天皇が即位してから2600年目にあたるとして、大日本帝国の国威発揚のため様々な記念行事が行われ、この年の12月に8回にわたって開催された奉祝演奏会でもっとも評判の良かったのがこの祝典序曲でした。輝かしく壮大でエスプリもあるこの曲は、戦争色とは関係なくお楽しみいただけるでしょう。
 どうぞお楽しみに!(H.O.)

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