新交響楽団指揮者紹介
1962年桐朋学園短期大学を卒業後、藤原歌劇団公演「修道女アンジェリカ」を指揮してデビュー。当初より、オペラとシンフォニー・コンサートの両方を視野において指揮活動を開始。読響を指揮して1964年度外国人記者賞(東京)を受賞したのち、1965年に米国に留学。翌1966年、ミトロプーロス国際指揮者コンクール(ニューヨーク)第4位に入賞しニューヨーク・フィルを指揮した際に、ワーグナーの孫であるフリーデリンド・ワーグナー(現在のワーグナー家当主ヴォルフガングの姉)に見出され、同年および翌年夏のバイロイト音楽祭マスタークラスに参加。カール・ベーム指揮/ヴィーラント・ワーグナー演出の「ニーベルングの指環」、「トリスタンとイゾルデ」を体験するほか、練習ピアニストや副指揮等にも急遽起用され、実力を評価される。
1967年からドイツに活動の場を移し、ブレーメン歌劇場専属指揮者兼コレペティトア(管弦楽部分を自らピアノで弾きながら歌手を指導するコーチ)となり、「さまよえるオランダ人」「オルフェオとエウリディーチェ」「魔笛」「蝶々夫人」「アイーダ」他オペレッタなどを指揮。1969年には第1回カラヤン国際指揮者コンクール(ベルリン)で第4位に入賞。1970年、マンハイム市立歌劇場カペルマイスターに転じ、73年までに「さまよえるオランダ人」「シモン・ボッカネグラ」「ファルスタッフ」等を指揮、「ルル」のアシスタント等も務める。
1971年、若くして日本人初のバイロイト音楽祭音楽助手に正式に就任。ベーム指揮「さまよえるオランダ人」、シルヴィオ・ヴァルヴィーゾ指揮「ローエングリン」の音楽助手チーフ、およびホルスト・シュタイン指揮「ニーベルングの指環」のアシスタントを務める。以降ほぼ毎年、アシスタントとしてベーム、シュタイン、ヨッフム、ラインスドルフ、ピッツなどの指揮ぶりに接し、あわせて数々の名歌手の歌唱や演技を身近に体験。
1972年、スペイン・バルセロナ歌劇場で「さまよえるオランダ人」「ワルキューレ」を指揮し、シーズン最高指揮者賞(バルセロナ)を受賞。同年、東京において二期会「ワルキューレ」日本人初演を指揮して絶賛され、芸術選奨文部大臣新人賞(東京)を受賞。国内では、以降77年まで二期会客演指揮者として「タンホイザー」ほかモーツァルト等のドイツ・オペラを指揮。1973年より、シュタインがGMDを務めるハンブルク国立歌劇場(ドイツの三大歌劇場のひとつ)に移籍、「さまよえるオランダ人」のほか「フィガロの結婚」「リゴレット」「ヘンゼルとグレーテル」「コシ・ファン・トゥッテ」「蝶々夫人」などを指揮。同年、イタリア・ボローニャ歌劇場に客演し、「さまよえるオランダ人」を数回指揮。1975年、いったんフリーとなり、日本国内でも数々のオペラ公演やオーケストラ演奏会を指揮。1976年のバイロイト音楽祭100年祭では、ブーレーズ指揮/シェロー演出「ニーベルングの指環」で音楽助手チーフを務め、以降計5年間にわたってこの歴史的プロダクションを支え、以降
1992年まで同音楽祭に継続して参加、シュタインやバレンボイムの指揮する数々の歴史的公演を支える。
1977年、レーゲンスブルク市立歌劇場の指揮者となる(〜78年)。1978年からはオランダに活動の中心を据え、オランダ・エンスヘデ市立歌劇団第1指揮者、その後エンスヘデ市立音楽院オーケストラ指揮者となり、現在に至るまで同音楽院オーケストラ顧問を務める。
1980年代中頃より日本での演奏活動を再開、数々のオペラを指揮するほか、各主要オーケストラに客演。1993年、名古屋フィルハーモニー交響楽団常任指揮者に就任、1995年には同団の第200回定期演奏会「トリスタンとイゾルデ」(抜粋・演奏会形式)を成功に導き、1996年の同団東京公演のライブCDは1996年度文化庁芸術作品賞を受賞。1998年には常任在任の総決算として235回定期「ワルキューレ」(抜粋、ステージ・オペラ形式)で、名フィル史上に燦然と輝く金字塔を残す。
1997年、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の常任指揮者に就任。以後、同団とブルックナーをはじめとする幅広いレパートリーで実績を積み重ね、(株)フォンテックからライヴCDシリーズが好評発売中であるほか、2000年にはベーレンライター版によるベートーヴェン全交響曲チクルスで話題を呼ぶ。9月には楽団創立25周年記念公演ワーグナー「ラインの黄金」が全席完売の人気となり、作品を知り尽くした入魂の指揮で日本人によるワーグナー上演の新時代を画する。さらに同年10月の、関西二期会公演・ワーグナー「パルジファル」(管弦楽:京都市交響楽団)の33年ぶり日本人公演において、驚くべき成果を収めて絶賛を博し、国内外のワーグナー上演の今後を担うきわめて重要な指揮者との評価を不動のものとしている。続く11月にはバルトーク「青ひげ公の城」(G.フリードリヒ演出)で新国立劇場に初登場、作品の深層に迫る鮮烈な表現で強い印象を残す。2001年1月より、関西フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者にも就任し。本年3月の関西フィル東京公演で『ミサ・ソレムニス』に挑み、東京の聴衆に大きなインパクトを与えた。
上記の2000年の活動全般に対し、2001年のサントリー音楽賞を受賞。歌劇場での経験を積み重ねる伝統的な指揮者本来のキャリアをたどり、ドイツ・オーストリア系指揮者の伝統的な演奏様式を受け継ぎつつ、その経験をシンフォニックな音楽にも活かせる指揮者として、各方面でますます評価が高まりつつあり、クラシック音楽の21世紀を切り拓くきわめて重要な存在として、コンサートとオペラの両分野において、今後さらなる飛躍が期待されている。新響とは1993年の初共演以来、今回が13回目(定期では11回目)の共演となる。
(2001年3月)